もう10年強も前の話である。 私は当時、東京・日本橋の日本銀行記者クラブ(金融記者クラブ)に所属していた。日銀の記者クラブは、日銀の正面に向かって左側の、背の低い建物の1Fにある。ちょうど北海道拓殖銀の破綻処理が進行し、日本債券信用銀行(日債銀)や日本長期信用銀行(長銀)の経営不安が表面化し、各社が激しい取材合戦を繰り広げていた。日銀クラブ詰めの記者は、民間銀行だけでなく、日銀本体や生保も損保夫もカバーしているから、やたらめったら忙しい。しかも、「大蔵省・日銀の接待汚職事件」も起きた。日銀が東京地検の家宅捜索を受け、総裁が辞め、新総裁に先日亡くなった速水優さんが就任する、そんな慌ただしい日々が来る日も来る日も続いていた。 そんな最中のことだ。 ある晩、ある他社の記者と神田で飲んだ。そして「おたくの記事は間違いや飛ばしが多いねえ」とか、適当にからっていたところ、彼が突然、「弁明」を始めたので