讓れない一線 マウスにおける原理主義とは? 「マウスは箸(はし)である」、と僕は強く主張したい。 箸は日本人として生きて行くために必要な道具だ。おのずと、箸の使い方は子供のころに親から厳しくしつけられるようになる。だから見た目にもきれいな箸使いの所作が伝統的に受け継がれて行くのだ。 マウスも同様である。タッチパッドやタッチパネルも同類じゃないかという意見もあるが、マウスには指だけではなく、手のひら全体を使って繊細な作業をするという「動作に対する美意識」が存在するのだ。 ここに「マウスの作法」という考え方が生まれる。日本人の美意識として、マウスの美しい使い方が自然に確立されるのだ。マウスは箸ほど使い方が難しくはないから、ほとんどの人が正しい使い方をしている。だから逆に、間違った使い方をする人が特に目立ってしまうのだ。 こんなことがあった。妻がパソコンを始めたころ、僕が先生になって初歩から教え