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ブックマーク / www.christiantoday.co.jp (3)

  • 三位一体の神様(12)神様の御名2 山崎純二

    この夏は多忙なことが重なり、連載が少し中断していますが、「神様の御名」に関連してメッセージをする機会が与えられたので、その原稿を紙用に校正し直して寄稿させていただきます。論説というよりは、メッセージ調ですが、三位一体の神様を理解する一助になればと思います。 さて、イエス様は父の名を大切にされ、御名の栄光のために祈られ、働かれました。ある時弟子たちが、祈り方を教えてくださいと、質問をしてきました。そこで教えられたのが、有名な主の祈りです。 この祈りはとても短いものですが、この短さは内容の少なさを意味しません。むしろ非常に濃厚で大切なことが凝縮されています。その中でもイエス様が、最初に祈るべきこととして教えられたのが、これです。 「イエスは、彼らに言われた。『祈るときには、こう言いなさい。「父よ。御名があがめられますように」』」(ルカ11:2) 以前、イエス様がご自身の「おもい」よりも、父の

    三位一体の神様(12)神様の御名2 山崎純二
  • 三位一体の神様(11)「生まれざる者」と「生まれた者」 山崎純二

    昔キングギドラという架空の怪獣がゴジラシリーズに登場していました。体は一つで頭が三つある怪獣です。また古来の日にもヤマタノオロチという八つの頭を持った怪獣の伝承がありますし、聖書にも七つの頭を持つ獣(黙示録17:3)や、四つの顔を持つ生き物(エゼキエル1:6)などが登場します。神様が「三」の独立した位階(ペルソナ)であり、なおかつ一体な方であるというと、上述のようなイメージを持たれる方もいるかもしれません。 しかし、この「一体」というのは「体(からだ)が一つである」という意味ではありません。「子なる神」であるキリストは体を有するものとしてこの地に来られた方ですが(ヘブル2:14)、父や聖霊が体を有しているという聖書箇所はないからです。 この「一体」というのは三位なる神の、質が「一」(もしくは、質において「一」)であるという意味です。そして神の質は何かといいますと、「おもい」「ことば

    三位一体の神様(11)「生まれざる者」と「生まれた者」 山崎純二
  • 三位一体の神様(10)教義擁護策への警鐘2「エホバ」の御名と「イエス」の御名 山崎純二

    私が最初に小さな疑問を持ったのは、こんな経験からでした。私の父は若いときにキリスト教に入信しましたので、その当時に購入した聖書や聖歌を大切に使っていました。 当然今となれば、そのどちらもボロボロなのですが、特に捨てる必要もないのでそのまま使っているようです。そうすると私たちが使っているものと、微妙に言葉が変わっている箇所があることに気付きます。 それは当然のことで、どちらも年々改訂版が出てくるので多少の言葉の変化などはあるわけです。ところが、新聖歌282の「見ゆるところによらず」の三番を一緒に歌うときには「ずいぶん違う歌詞だな」と感じました。現代の改訂された歌詞はこうです。 3 己が聖きを もて誓う 父なる神は 真実なり しかし、父が持っていた古いオリジナルの歌詞はこうでした。 3 己が聖きを もて誓う エホバの神は 真実なり なんと原作の三谷種吉氏の詞から「エホバ」の名が削られ、「父なる

    三位一体の神様(10)教義擁護策への警鐘2「エホバ」の御名と「イエス」の御名 山崎純二
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