2020年9月24日のブックマーク (1件)

  • である - はてな匿名ダイアリー

    典型的な文系は 「習った」  「書いてある」  「”常識”」 という動作を結果として価値基準を持ってくる 「ちゃんと読んだのか」  「勉強してくるべき」  「〇〇という書物に記されている」 に価値があるようにふるまう 何がどういった動作をしようが、実際の結果にそれが反映されていないと意味がない事にいまだ気が付いていない人間はおそらく世にあふれるその文系そのものであってそれは文系を含む全体の人間が相互に理解に苦しむ なぜ小学校を卒業したのに小学生レベルの〇〇が出来ないのか、とさも疑問でもあるかのように問う どんな学歴でどれほどの能力を専門分野で発揮していようとも、出来ないことは出来ない 理系は、違いの有無や、それぞれの傾向がどんなものであるかを分けることが出来たとして「違いを分けました」という動作自体に意味があるとして完結と見たりしない 違いはどうして発生するのか、その違いはどういった結果に

    である - はてな匿名ダイアリー
    lilymama
    lilymama 2020/09/24
    あー納得だわ。もうちょっと早くに、若い時に知っておきたかった。と言っても昔の自分なら分かんないかもな。