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ブックマーク / number.bunshun.jp (2)

  • 大谷翔平とベーブ・ルースの4年間。投打の数字比較から未来を想像する。(ナガオ勝司)

    大谷翔平が日プロ野球のポストシーズンで投げると聞いて、ベーブ・ルースのことを思い出した。実際にルースを見たことがあるわけではないので、思い出したと言ってもそれは記録のことである。 それも打者ルースではなく、投手ルースの記録だ。 我々がよく知る「国民的英雄」のルースは、メジャー歴代3位の通算714塁打のスラッガーであり、それは彼が25歳でヤンキースに移籍してからの打者ルースである。 ADVERTISEMENT それまでの彼はレッドソックスの主戦投手で、「二刀流」というよりは、打者としても周囲を唸らせる投手だったようだ。当時のアメリカン・リーグはまだ指名打者制度を導入しておらず、投手が打席に立つのは自然なことだった。 とは言え、ルースは投手時代のメジャー2年目に10試合、3年目には23試合と野手としても出場し、“二刀流”をやっていた時期があった。 デビューからの4年間の投手成績を比べてみる

    大谷翔平とベーブ・ルースの4年間。投打の数字比較から未来を想像する。(ナガオ勝司)
  • <文武両道で初のセンバツへ> 宮崎西高校 「弱小野球部の“とんでもない快進撃”」(日比野恭三)

    田舎の公立進学校が、初の甲子園出場を決めた。 野球より学業が優先され、練習時間は極端に短い。 当初、惨敗を重ね続けた弱小チームは、いかにして 遠い夢だった大舞台への切符をつかんだのか。 東京大学硬式野球部の四番に座っていた高山久成は、目を疑った。 昨年の10月初旬。母校・宮崎西高の野球部監督、兒玉(こだま)正剛(タイトル写真右)からのメールに「今、秋季県大会の準決勝です」という一文があったからだ。 西高が県大会でベスト4――? 高山にとって、それは既に「とんでもない快進撃」だった。 県内屈指の進学校である県立宮崎西高は、部活動も活発だ。だが、野球部が県大会でこれほどの上位に入ったことはない。 「全校集会で放送部や水泳部なんかはよく表彰されてたけど、僕らは全然ステージに上がれなくて。正直、存在感は薄かった」 高山がそう回想する西高野球部の快進撃はさらに続き、ついに創部36年目にして初の甲子

    <文武両道で初のセンバツへ> 宮崎西高校 「弱小野球部の“とんでもない快進撃”」(日比野恭三)
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