印刷 鷹島神崎遺跡の調査風景。ダイバーの前にあるのは沈没船の一部とみられる木材=文化庁提供 13世紀、日本に攻めてきた蒙古(モンゴル)軍の船団が沈没したとされる長崎県松浦市鷹島沖の海域が、「鷹島神崎(こうざき)遺跡」として国の史跡に指定される。文化審議会が17日、平野博文文部科学相に答申した。国指定史跡は約1700あるが、海底遺跡の指定は初めて。 鷹島神崎遺跡は2度にわたる蒙古襲来(元寇〈げんこう〉)のうち、2度目の弘安の役(1281年)で蒙古軍の船4400隻の多くが沈んだとされる場所。文化審議会は、鎌倉幕府を崩壊させる遠因となった出来事の様相が今に残り、当時の軍事・外交を知るうえで極めて重要とした。指定される海底は約38万4千平方メートル。 発掘調査は1980年度に始まり、昨年10月には琉球大のチームが船底の背骨に当たる長さ12メートル、太さ50センチの木材の竜骨(キール)を確認し
“竹島遊覧便”を運航する韓国「大亜高速海運」便への長崎県と対馬市の補助金支出について、対馬では「国益に反する」という批判的な意見がある一方、「島の経済のためには当然」との声が主流だ。高齢化と過疎化が進み主産業の漁業などが衰退する中、韓国からの観光客や資本投下に依存せざるを得ないのが実情だからだ。 「補助金支出を批判する人は島の実情を知らないのではないか」。島内で旅館と食堂を経営する対馬旅館業組合の熊本裕臣組合長はこう話す。 対馬は福岡から約130キロ。釜山からは約50キロしかなく、高速船で1時間10分。韓国にとって登山や釣り、買い物が楽しめる「最も近い海外旅行地」でもある。週末、商店街をそぞろ歩く家族連れや若者グループは韓国人が目立つ。 大亜社便が震災後2カ月半余り運休すると、対馬のにぎわいは消えた。熊本さんの旅館では、韓国の旅行代理店が3カ月先まで押さえていた予約が一斉にキャンセルされ、
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