ブックマーク / d.hatena.ne.jp/m-abo (7)

  • 「悪い思い出は、忘れちゃいけない!」…『腐女子マンガ大系』への疑問 - さかさまつげ

    腐女子マンガ大系』は、「マンガ」が大学などでの研究対象として定着してきたことの、おそらく成果と言っていいのだと思う。アカデミズムのいち領域としての「マンガ学」をふまえての企画、ということ。 その上で、このの場合は、何しろあつかうのが「やおい」だから、社会学(フェミニズム)にも通じていて、なおかつ自分自身も腐女子(腐男子)な、30代中心の比較的若い論者が多いみたい。 腐女子の立場を大事にしつつ、新しい世代の論者が、マンガ学と社会学の知見を用いてやおいを肯定的に語る、という感じかな。いわば、アカデミズム版『オタク女子研究』というわけですね。上野・香山と、ハク付けもばっちりである。 その趣旨には賛成するし、また、そのメッセージが充分読み手に届くになっているんじゃないか、という気もするのだが、個人的には、少なからず違和感も感じている。それを言葉にしておこうと思う。 違和感の直接の原因は、や

    lisagasu
    lisagasu 2009/06/22
    中島梓も一時期「私にもうJUNEは必要ない」と言ったり、結局最後まで「私の作品と今時のやおいを一緒にするな」とか批判してたので、冷えた扱いになったのかも。抑圧説は商業的に足を引っ張る論でもあるしね
  • nodadaさんにレス。 - さかさまつげ

    ひと月以上も前にトラバいただいていながら放置しちゃってたnodadaさんへの返信です。元エントリ(こちら)自体にはほぼ同感しつつ*1、後日のコメント欄でのやりとりを拝見するうちに、自分の立場みたいなものをある程度説明しといたほうがいいのかな、と思っていたものの、今に至ってしまいました…年が改まっちゃいましたよ…ほんとにすみません。 以下、かなりとりとめもなく書いていきたいと思います。  まず、ホモフォビアを批判する向きは、担い手の心理を問題にはしていないのでは、という指摘は、そのとおりだと思います。作り手や受け手の内面=真意を括弧入れする意味でも、「表象」が問題化されているはずですよね*2。表現されたものがさまざまに読まれうることがもたらす政治性、というか。既に佐藤さんの論考に読みとれる問題意識ですが…。 いっぽうnodadaさんの目指す読みの方向に、僕が基的に共感できるのは、「キャラク

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    lisagasu 2009/01/19
    「批判にしろ反批判にしろ具体的な作品なり事象が例に挙げられてはじめて成り立つ」「根本の差別性をどう引き受けるか、その問題をふまえた上で、やおい・BLを肯定していく筋道」
  • 男がポルノに接する時、女性に同一化しないとはかぎらない。 - さかさまつげ

    当たり前と言えば当たり前のような気も。  そういえば、学生時代に、男はどういうふうにアダルトビデオを見ているか、みたいな話を女の子としたことがあって(ようやくAVがレンタルビデオ屋とともにブームになってきた頃ですよ…)。そこで表題のようなことを説明するのに出した例というのが、男、とくに童貞がフェラチオのシーンを見る場合、でした。 童貞たる者、フェラチオの実体験なんかありゃしないので、画面の中で行われていることを、自分のかつての経験をベースに体感することはできない。もちろん、その感覚を想像してみることはできなくはないけれど、そのいっぽうで、ペニスを含んでいる口元の映像によって、むしろ口唇の感覚こそがリアルに刺激されうるはず。少なくとも映像の上では、モザイクに覆われたペニスにくらべれば、唇はよっぽどはっきりと映し出されているのだから、唇の感覚に同一化するほうが容易。というか、ふと気がつくと、口

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    lisagasu 2009/01/09
    前に801板のスレで受け攻めどっちにシンクロしてエロを読み書きするかの話で、肉体は受け心は攻めにシンクロして読むという話があった。男性にもそうした曖昧な味わい方があってもおかしくない
  • 男子、自分のからだにさわるべし。あるいは、亜美ちゃんはなぜ失禁するのか。 - さかさまつげ

    「自分の性器を鏡で見たことがありますか?」という問いかけは、女の子に、性的抑圧を気づかせるきっかけとして、わりと定番(たぶん)。 この問いかけを、男子のほうに引っくり返すとしたら、「自分の肛門を鏡で見たことがありますか?」になりそう(えー)。 男のからだの中では、男性性を帯びさせられていない部位は、関心の外に置かれがち。関心を持つな、という抑圧がある……とまで言っていいかは、わからないけど。その「関心の埒外」の最たるものとして、とりあえず「肛門」! 童貞の人とかは、「女の子にどうさわっていいかわからない」的なことを言うことになっているらしいけれど、果たしてそんな彼は、自分のからだにだって日頃さわっているのか、どうか。 他人の身体感覚なんて、自分のそれをベースに想像するしかないと思う。感度、というのは(あまり、いい言葉じゃないけど…)個人差や性差に左右されがちかも知れないけど、大ざっぱな性感

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    lisagasu 2009/01/09
    私もあれは失禁=射精のイメージだってすぐわかった。だってこのネタ好きな男性多すぎw女子的にはSM契約or自己解放のサインなのかなSとMどっちかは場合によるけど
  • 「男女の友情は可能か?」という問いに、「それはやおいだ」と答えてみる。:さかさまつげ

    「やおい」をごく大雑把に、「ホモソーシャリティのホモセクシャルへの読み替え」と定義してみる。 ホモソーシャリティはホモセクシャリティを排除することで成り立つから、やおいはホモソーシャルな集団にとって、排除した当のものを突きつけてくる存在、ということになる。やおいに必ずしもその意図があるとは言えないにしろ、やおいには、ホモソーシャル集団の排除したホモセクシャリティを顕在化させる(しかも、多くの場合は戯画化して…)一面も、確かに備わっている。やおいは、ホモソーシャル集団に属する男たちが触れずにいるものを、含み笑いと羨望のまなざしとともに指してみせる。 「メロディ」4月号のよしながふみ&羽海野チカ対談がおもしろい。見た目仲良くないんだけど、お互いの力を認め合ってて、それでその人が当に困った時には手を貸してやる関係みたいなものを、やおいだと私らは呼んでいて、 と、よしながふみが言っているのを読ん

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    lisagasu 2008/12/26
    こうしてよしながふみ(的感覚)が腐女子の優等生になっていくことで抜け落ちていくものもあると思う。ドS幼女×M男の挿入なし関係を男女のやおいといわれるほうが個人的には納得できるよ
  • 『腐女子の履歴書』 - さかさまつげ

    以前紹介した、斎藤ミツさんと文尾実洋さん(id:boilednepenthes)の同人誌腐女子の履歴書』が、文学フリマで搬入した500部を完売してしまったのにはおどろきました(完売御礼対談はこちら)。しかも、当日に発表された東浩紀点の低さというハンデをひっくりかえして、なのだからなおさら値打ちもの。審査基準の再考をうながした原因の一つにはなったのだと思います。コンビそろっての通過がかなわなかったのは残念ですが、基準の再考がなければあるいは2人揃って落ちていたのかも。 内容的には、確かにい足りなさを感じます。インタビューにしろ、アンケート形式の履歴書にしろ、個別の記事のボリュームがいかにも少ない。物理的な制限がある以上しかたないとわかってはいても、もったいないなぁ、と思わずにはいられません(自分も対談の構成をちょっぴり手伝わせていただきましたが、泣く泣く削った原稿量たるや…)。また切り口

  • それは<制度>の外の「教育」だった……『密やかな教育<やおい・ボーイズラブ>前史』 - さかさまつげ

    やおいやJUNEに教養主義の一面があることは、読者であったことのある人にとっては意外なことではありません。しかし、その意味、つまり、JUNEが登場する70年代以前の、もっぱら男性によって占有されてきた教養と何が違うのか、といったことになると、ほとんど言葉にされてこなかったような感じがします。この『密やかな教育』は、やおいやJUNE的教養のバックグラウンドとして常々その名を挙げられるヘッセ、ヴィスコンティ、三島、足穂から、24年組の少女マンガ家や栗薫に至る流れの中で何が変わり、何が受け継がれたのかを、作品そのものや肉声(竹宮惠子・増山法恵・佐川俊彦3氏へのインタビューを併載)をもとに具体的に示してくれるであり、前提とするにせよ批判的に読まれるにせよ、これからの議論のベースとなっていくだろうです。 男性たちのものとしての「教養」(それがしばしばホモソーシャルな絆の拠り所として機能してきた

    lisagasu
    lisagasu 2008/11/24
    小説道場の時代がすでに「前史」に含まれてるのが感慨深い/こういう本こそ図書館に置いてほしい/買っちゃった。これから読む。とりあえず、佐川俊彦インタビューに出てくる名前だけで感激。高野文子とか飴屋法水とか
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