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ブックマーク / sportiva.shueisha.co.jp (94)

  • 天才たちが認める天才・前田智徳のバッティングとは 元中日の今中慎二は「ほかの打者と対峙している時にはない感覚」

    今中慎二が語る名打者たちとの対戦 後編 (前編:イチロー、落合博満との対戦秘話 プロ野球史に残る天才打者たちは何が違った?>>) 今中慎二氏が振り返る名打者との対戦。イチロー氏や落合博満氏について語った前編に続いて、後編ではそのふたりが"天才"と評した前田智徳氏(元広島)との対戦について。今中氏が「なぜか力が入ってしまう」という前田氏は、ほかの打者とは何が違ったのか。 天才的なバッティングで活躍した広島の前田 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る 【なぜか前田との対戦では力んでいた】――対戦が印象に残っている打者の3人目として挙げた前田智徳さんとの対戦では、どんなことを感じていましたか? 今中慎二(以下:今中) 先ほど(前編で)話した落合博満さんとの対戦と同じように、"いらっしゃい"と自分が間合いに入っていってしまう感じで、簡単にヒットを打たれてしまうん

    天才たちが認める天才・前田智徳のバッティングとは 元中日の今中慎二は「ほかの打者と対峙している時にはない感覚」
  • 篠塚和典が振り返る、1番・松本匡史がいたからバッターボックスで「楽しめた」こと

    篠塚和典が語る「1980年代の巨人ベストナイン」(6) 松匡史 後編 (中編:「青い稲」松匡史のすごさ ホーナーの塁打を「アシスト」した逸話も>>) 篠塚和典氏が語る、かつて巨人の1番として活躍した"青い稲"松匡史氏のエピソードの後編。篠塚氏にとっての松氏という存在、1980年代のメンバーとの野球が楽しめた理由などを聞いた。 青い手袋とメガネがトレードマークだった松 photo by Kyodo News 【33歳で引退後、コーチに】――先ほど(中編では)、松さんは「ボールをよく見るタイプの1番バッター」という話が出ましたが、その後に控えるバッターたちが相手ピッチャーの特徴や調子などを見極める上でも、ありがたい存在ですね。 篠塚和典(以下:篠塚) 特に、初めて対戦するピッチャーはどういうボールを投げるのかわかりませんから、松さんがバッターボックスに立って感じたことを、後

    篠塚和典が振り返る、1番・松本匡史がいたからバッターボックスで「楽しめた」こと
  • 篠塚和典が分析する「青い稲妻」松本匡史のすごさ ホーナーの本塁打を「アシスト」した逸話も

    篠塚和典が語る「1980年代の巨人ベストナイン」(6) 松匡史 中編 (前編:松匡史との決まりごと 長嶋茂雄監督の強い意向に「大変そうだった」>>) 篠塚和典が「1980年代の巨人ベストナイン」で1番・レフトに選んだ松匡史氏。そのエピソードを振り返る中編では、1番バッターとしてのタイプや、セ・リーグのシーズン最多盗塁記録(76盗塁)を保持する走塁の特長、1987年に神宮球場で行なわれたヤクルト戦で起きた珍しいプレーなどを振り返ってもらった。 セ・リーグのシーズン最多盗塁記録を持つ松 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る 【篠塚は松と「気が合っていた」】――同じ1番バッターでも、積極的に打っていったりボールをよく見たり、いろいろなタイプがいると思います。松さんはいかがでしたか? 篠塚和典(以下:篠塚) 点差が大きく開いた試合など、展開によって積

    篠塚和典が分析する「青い稲妻」松本匡史のすごさ ホーナーの本塁打を「アシスト」した逸話も
  • 篠塚和典が明かす松本匡史との決まりごと 長嶋茂雄監督の強い意向に「大変そうだった」

    篠塚和典が語る「1980年代の巨人ベストナイン」(6) 松匡史 前編 (連載5:「元気ハツラツ」中畑清の素顔「ミスターをかなり意識していた」>>) 長らく巨人の主力として活躍し、引退後は巨人の打撃コーチや内野守備・走塁コーチ、総合コーチを歴任した篠塚和典氏が、各年代の巨人ベストナインを選定し、各選手のエピソードを語る。 以前選んだ「1980年代の巨人ベストナイン」のなかで5人目に語るのは、青い手袋を着用していたことから"青い稲"の異名を取り、セ・リーグのシーズン最多盗塁記録(1983年に76盗塁をマーク)を持つ松匡史氏。前編では入団当初の印象や1、2番コンビを組んだ際のエピソードを聞いた。 土井正三(左)から指導を受ける松(中央)と篠塚(右)photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る 【内野守備は「ちょっと硬さがあった」】――松さんは篠塚さんのプロ入

    篠塚和典が明かす松本匡史との決まりごと 長嶋茂雄監督の強い意向に「大変そうだった」
  • 今中慎二が振り返るイチロー、落合博満との対戦秘話 プロ野球史に残る天才打者たちは何が違った?

    今中慎二が語る名打者たちとの対戦 前編 かつて中日のエースとして活躍し、1993年には沢村賞も受賞した今中慎二氏は、現役時代に数多くの名打者たちと名勝負を繰り広げてきた。そのなかでも印象的だった対戦を振り返る前編では、オリックス時代のイチロー氏、巨人にFA移籍して1年目の落合博満氏について語った。 オリックス時代のイチロー氏(左)と巨人時代の落合博満氏 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る 【カーブに体勢を崩しても「あそこまで飛ばすのか」】――今中さんは1995年のオールスターゲーム第1戦で、セ・リーグの2番手として登板。パ・リーグの1番打者のイチローさん(当時オリックス)と対戦していますが、印象はいかがでしたか? 今中慎二(以下:今中) オールスターなので、打たれる、抑えるとかにはそれほどこだわっていませんでした。イチローとの対戦を楽しみにする気持ちが

    今中慎二が振り返るイチロー、落合博満との対戦秘話 プロ野球史に残る天才打者たちは何が違った?
  • 基満男と関根潤三の「冷戦」はある住職からの「おまえの三振が見たい」で終止符が打たれた

    微笑みの鬼軍曹〜関根潤三伝 証言者:基満男(後編) 前編:基満男は高木豊を起用した関根潤三に憤慨はこちら>> 大洋移籍後の80年には打率.314をマークし、ベストナインを獲得した基満男この記事に関連する写真を見る 【不穏な空気のまま始まった83年シーズン】 1983(昭和58)年、基満男はレギュラーの座を高木豊に奪われた。多少の衰えを感じつつも、「まだまだレギュラーとして活躍できる」という自負はあった。それでも、大洋ホエールズ監督就任2年目となる関根潤三は、セカンド定位置の座をプロ3年目の高木豊に与えた。基の言葉を借りれば「与えた」のである。前編で紹介した生前の関根が出版した『若いヤツの育て方』(日実業出版社)には、この頃の基満男についてこんな記述がある。 ベンチを暖めることが多くなった基は、当初、激しい不満をもらしていたようだ。"試合に出てなんぼ"のプロ野球にあって、スタメン落ちは生活

    基満男と関根潤三の「冷戦」はある住職からの「おまえの三振が見たい」で終止符が打たれた
  • 基満男は高木豊を起用した関根潤三に憤慨 「ポジションというのは与えられるもんじゃない。奪うものだよ!」

    webスポルティーバ野球の記事一覧プロ野球基満男は高木豊を起用した関根潤三に憤慨 「ポジションというのは与えられるもんじゃない。奪うものだよ!」 微笑みの鬼軍曹〜関根潤三伝 証言者:基満男(前編) 1982年から3年間、大洋の監督として指揮を執った関根潤三氏 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る 【ベテラン基の運命を変えた関根監督就任】 インタビュー開始早々、「関根潤三監督時代についてうかがいたい」と言うと、基満男は「あのオッサンには、いい思い出がないな......」と口にした。関根が大洋ホエールズの監督に就任した1982(昭和57)年から、彼が退任する、そして基が引退する84年までの3年間、両者はともに同じ時間を過ごしている。 「大洋に移籍したのは32歳の時のことやね。当時、すでに腰は痛いし、ヒジも曲がっとったし、あちこち傷んどるよ。パ・リーグ時代と比

    基満男は高木豊を起用した関根潤三に憤慨 「ポジションというのは与えられるもんじゃない。奪うものだよ!」
  • ロッテが独立リーグの外国人選手・マーティンを育成で獲得した理由 BC茨城GMが語る舞台裏

    パ・リーグで首位ソフトバンクを追いかける2位のロッテが7月2日、新外国人選手の獲得を発表した。2019年から4シーズン活躍したレオネス・マーティンの弟、右打ちの外野手アンディ・マーティンだ。 といっても、即戦力としてではない。育成選手での契約が示すように、将来を見据えての獲得である。 ロッテが独立リーグの外国人選手・マーティンを育成で獲得した理由 BC茨城GMが語る舞台裏この記事に関連する写真を見る 【NPBで4番を打てる逸材】 23歳でキューバ出身のマーティンは、今年5月21日、BCリーグの茨城アストロプラネッツに入団した。 「もし2、3年後にNPBのスターになれる可能性があれば、今回のように育成で獲って育てようと考える球団もあるだろうというプランのもとで獲得しました」 そう話すのは、アストロプラネッツの色川冬馬GMだ。世界各国にコネクションを持つ同GMは昨季途中に日ハムに移籍したアレ

    ロッテが独立リーグの外国人選手・マーティンを育成で獲得した理由 BC茨城GMが語る舞台裏
  • 甲子園出場ゼロの無名の進学校、入学当初は球速110キロ...今永昇太はいかにしてメジャーリーガーへと上り詰めたのか

    webスポルティーバ野球の記事一覧高校野球他甲子園出場ゼロの無名の進学校、入学当初は球速110キロ...今永昇太はいかにしてメジャーリーガーへと上り詰めたのか 今永昇太の原風景〜無名だった北筑高校時代(前編) 福岡県北九州市八幡西区に所在する北筑高校。目前にそびえる皿倉山、権現山、帆柱山、花尾山からなる帆柱連山が生徒たちを優しく見守る。標高622メートルの皿倉山展望台から一望できる市内の景色は「100億ドルの夜景」と称され、2003年には奈良市の若草山、山梨市の笛吹川フルーツ公園と並び「新日三大夜景」に選定された。校歌も「皿倉山の青あらし」から始まるなど、自然の息吹を身近に感じながら3年間を過ごすことができる。 今永昇太は、そんな緑に囲まれた環境のなかで育った。横浜DeNAベイスターズのエースとして活躍したのち、今季からシカゴ・カブスと4年総額5300万ドル(約84億円)、最大で5年80

    甲子園出場ゼロの無名の進学校、入学当初は球速110キロ...今永昇太はいかにしてメジャーリーガーへと上り詰めたのか
  • 秦真司が証言「野村克也さんのID野球の成功は、関根潤三さんが遺してくれた土台があったからこそ」

    微笑みの鬼軍曹〜関根潤三伝 証言者:秦真司(後編) 前編:秦真司が語る指揮官・関根潤三の起用法はこちら>> 1991年以降は外野手としてヤクルト黄金期を支えた秦真司氏 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る 【ID野球の成功は土台があったから】 関根潤三がヤクルトスワローズの監督となって2年目の1988年、秦真司はようやく正捕手の座を掴つかんだ。しかし、翌89年シーズン終了後、関根はチームを去る。後任は野村克也が務めることになり、この時ドラフト2位でトヨタ自動車から入団したのが古田敦也である。 「野村さんがヤクルト監督となって3年目の92年にリーグ優勝、翌93年には日一になりました。これは関根さんの時代に育った選手がいたからこそ可能になったことでした。関根さんが徹底的に鍛え上げた若手に、野村さんが"頭の野球"を叩き込みました。そこには、関根さんに対するラ

    秦真司が証言「野村克也さんのID野球の成功は、関根潤三さんが遺してくれた土台があったからこそ」
  • 西武黄金時代の鉄壁の右中間「ライト平野謙・センター秋山幸二」 石毛宏典がサードから見たふたりのスゴさとは?

    webスポルティーバ野球の記事一覧プロ野球西武黄金時代の鉄壁の右中間「ライト平野謙・センター秋山幸二」 石毛宏典がサードから見たふたりのスゴさとは? 石毛宏典が語る黄金時代の西武(11) 平野謙 後編 (前編:「史上最強」1990年の西武は、平野謙という「つなぎ役」の加入によって完成した>>) 走攻守三拍子揃ったプレーヤーとして西武黄金時代に活躍した平野謙(ひらの・けん)氏。石毛宏典氏がエピソードを語る後編では、平野氏の守備、秋山幸二氏と組んだ鉄壁の"右中間コンビ"について聞いた。 俊足、強肩のライトとして活躍した平野謙 photo by Saneki Visualこの記事に関連する写真を見る 【平野と秋山の守備の特長】――黄金時代の西武は内外野の守備力が高かったですが、特にセンターの秋山さんとライトの平野さんによる"右中間コンビ"は鉄壁でした。 石毛宏典(以下:石毛) 当時、抑えを務めて

    西武黄金時代の鉄壁の右中間「ライト平野謙・センター秋山幸二」 石毛宏典がサードから見たふたりのスゴさとは?
  • 石毛宏典が「史上最強」と語る1990年の西武は、平野謙という「つなぎ役」の加入によって完成した

    石毛宏典が語る黄金時代の西武(11) 平野謙 前編 (連載10::PL学園時代の清原和博から3奪三振 西武・渡辺智男の「真っすぐ」のすごさを石毛宏典が語った>>) 1980年代から1990年代にかけて黄金時代を築いた西武ライオンズ。同時期に在籍し、11度のリーグ優勝と8度の日一を達成したチームリーダーの石毛宏典氏が、当時のチームメイトたちを振り返る。 前回の渡辺智男氏に続く11人目は、プロ野球で歴代2位となる451犠打をマークし、黄金時代に不動の2番打者として活躍した平野謙(ひらの・けん)氏。1987年に中日ドラゴンズからトレードで西武に移籍した当時の印象、平野氏のバントのすごさなどを聞いた。 黄金時代の西武の「つなぎ役」として活躍した平野謙 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る 【中日から移籍した当初の印象】 ――1987年11月、平野さんは小野和幸

    石毛宏典が「史上最強」と語る1990年の西武は、平野謙という「つなぎ役」の加入によって完成した
  • 関根潤三はミスした秦真司に「命までとられるわけじゃないんだ」と二軍に落とすことなく起用しつづけた

    微笑みの鬼軍曹〜関根潤三伝 証言者:秦真司(前編) 1988年は自己最多の122試合に出場した秦真司氏 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る 【関根潤三との出会い】 秦真司が「その人」と出会ったのは、プロ3年目を迎えた1987年シーズンのことだった。法政大学時代の84年にはロサンゼルスオリンピックに出場し、金メダル獲得の立役者のひとりとなった。同年ドラフト2位、鳴り物入りでヤクルトスワローズ入りしたものの、ベテランの八重樫幸雄の後塵を拝し、なかなか正捕手の座を掴みきれない。そんな時期に、秦は関根潤三と出会ったのである。 「監督が代わるということは、選手にとっては環境が大きく変わるということでもあります。プロ2年間で自分が培ってきたことに加えて、心機一転、新たなことに挑戦して、きちんと結果を残して新監督にアピールしなければいけない。関根さんがヤクルトに来た

    関根潤三はミスした秦真司に「命までとられるわけじゃないんだ」と二軍に落とすことなく起用しつづけた
  • 山﨑福也、森下暢仁だけじゃない 谷繁元信が選出する現役プロ野球「打てる投手」はコイツらだ!

    5月30日の交流戦で日ハムの山﨑福也が「6番・投手」でスタメン出場し、自ら先制打を放ち、勝利投手に輝くなど"リアル二刀流"の活躍を見せた。また、6月25日の試合では広島の森下暢仁が今季2度目の猛打賞をマークし、今季の打率は4割2分9厘となった。そこで、プロ野球記録の3021試合に出場の名捕手・谷繁元信氏に聞く、マスク越しに見た「強打の投手」は誰だったのか? また現役選手のなかで「打てる投手」は? 6月25日の試合で今季2度目の猛打賞を記録した広島の森下暢仁 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る 【往年の打てる投手たち】── 谷繁さんの現役時代、「強打の投手」のイメージがある選手は誰でしたか? 谷繁 結構いましたよ。そのなかでもすぐ頭に浮かぶのは、巨人の斎藤雅樹さん、桑田真澄さんですね。時々、ホームランを打っていた記憶があります。あとカープ時代の前田健太

    山﨑福也、森下暢仁だけじゃない 谷繁元信が選出する現役プロ野球「打てる投手」はコイツらだ!
  • 山本由伸は1年目でエース格、今永昇太は2番手、37歳のダルビッシュは...ナ・リーグ日本人投手6人の評価

    webスポルティーバ野球の記事一覧MLBMLB山由伸は1年目でエース格、今永昇太は2番手、37歳のダルビッシュは...ナ・リーグ日人投手6人の評価 日人メジャーリーガー14人の立ち位置(ナ・リーグ投手編) ◆野手編>>「大谷翔平は打点王、吉田正尚はDH、ヌートバーは20塁打?」 メジャーリーグのキャンプが各地でスタートを切った。野手・投手ともに2024シーズンを戦うメンツが合流し、連日ニュースを賑わせている。 オフシーズンに移籍してきた選手も加わり、各チームの戦力も徐々に見えてくるこの時期、日人選手のチーム内のポジションは果たして──。彼らがどのような立ち位置で今シーズンに挑むのか、昨シーズンのデータなどを紐解きながら探ってみる。 ※   ※   ※   ※   ※ 山由伸はドジャース投手陣を牽引するほどの実力 photo by Getty Imagesこの記事に関連する写真を

    山本由伸は1年目でエース格、今永昇太は2番手、37歳のダルビッシュは...ナ・リーグ日本人投手6人の評価
  • ヤクルト山田哲人が明かすトリプルスリーの真実 一番しんどいのは打率? 本塁打? 盗塁?

    ヤクルト・山田哲人インタビュー(前編) ヤクルト・山田哲人が14年目のシーズンを迎えた。これまで数々の記録を残し、トリプルスリーを複数回達成。塁打王と盗塁王の同時タイトルを獲得した史上初の選手でもある。その山田が、現在の目標や、意識の変化について語った。 これまで3度のトリプルスリーを達成しているヤクルト・山田哲人 photo by Koike Yoshihiroこの記事に関連する写真を見る 【怖いもの知らずの若手時代】 山田は2010年に履正社高(大阪)からドラフト1位でヤクルトに入団。まず目指したのは"ホームラン"だった。 「小中高とホームランを打ってきたので、プロに入っても打ちたいなと。ただ現実味はなかったですし、ひとつの目標として言っていた感じでしたね。実際、プロの世界に入ってみると難しいと思いましたし、とくに1年目、2年目は"飛ばないボール"の頃だったので、『これはきついな』と

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  • 守護神剥奪、サイドスロー転向...現役ドラフトでオリックスへ移籍の鈴木博志が語る紆余曲折の6年と新天地にかける思い

    webスポルティーバ野球の記事一覧プロ野球守護神剥奪、サイドスロー転向...現役ドラフトでオリックスへ移籍の鈴木博志が語る紆余曲折の6年と新天地にかける思い オリックス・バファローズの春季キャンプは全体練習の時間が短い。10時過ぎにウォーミングアップが始まると、昼過ぎにはひと段落つく。だが、当の練習はここからだ。選手たちはそれぞれ個別の練習に取り組み、夕方までたっぷりと汗を流す。 17時が近づくと、選手はひとり、またひとりと練習を終えてバスに乗り込み、グラウンドをあとにする。ほとんどの選手が引き上げ、辛抱強く選手の「出待ち」をするファンの波が引いた頃。背番号66を着けた鈴木博志はようやく練習を終え、インタビュールームへとやってきた。 「お疲れのところ、すみません」と詫びると、鈴木は愛嬌のある顔をほころばせて「体力はありあまってますよ」とおどけてから、こう続けた。 「オリックスは自分の時間

    守護神剥奪、サイドスロー転向...現役ドラフトでオリックスへ移籍の鈴木博志が語る紆余曲折の6年と新天地にかける思い
  • 女子バレーのユース日本代表で石川真佑らと戦った野中瑠衣 夢のA代表入りに「え、私でいいの?」

    日立Astemoリヴァーレ 野中瑠衣 インタビュー前編 サイドアタッカーに日人選手を起用し、日本代表に送り込む――。それがV.LEAGUE DIVISION1 WOMENの日立Astemoリヴァーレの身上だ。 昨年の日本代表メンバーには、第22回アジア女子選手権大会(第3位)に長内美和子とオクム大庭冬美ハウィが、第19回アジア競技大会(準優勝)に長内が選ばれた。そして、もうひとり。アジア女子選手権大会に臨むチームに"追加登録"という形で選出されたのが、野中瑠衣である。 セッター対角でプレーし、日立Astemoにおける存在感を増す野中。仲間からは「パス(サーブレシーブ)も安定していますし、ストレート方向へのアタックで確実に得点してくれる」(長内)、「プレー面も頼もしいですし、プラスになる声がけをしてくれるので、私も前向きになれる」(オクム大庭)と信頼を寄せる。 秋田北高校を卒業後、日立As

    女子バレーのユース日本代表で石川真佑らと戦った野中瑠衣 夢のA代表入りに「え、私でいいの?」
  • 荒木雅博はドラフトで外れ外れ1位指名に「ウソだろ? 勘弁してくれよ」 入団当初の評価は「身体能力は一級品だが野球の技術がない」

    webスポルティーバ野球の記事一覧プロ野球荒木雅博はドラフトで外れ外れ1位指名に「ウソだろ? 勘弁してくれよ」 入団当初の評価は「身体能力は一級品だが野球の技術がない」 荒木雅博インタビュー(前編) 荒木雅博氏は1995年にドラフト1位で中日に入団以来、選手として23年間プレーした。通算2045安打を記録し、378盗塁は歴代11位。また二塁手としてゴールデングラブ賞を6度受賞するなど、球界屈指の名手として名を馳せた。中日黄金時代を支えた名プレーヤーが野球人生を振り返る。 1995年のドラフトで中日から1位指名を受けて入団した荒木雅博 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る 【まさかのドラフト1位指名】── 荒木さんが野球を始めたきっかけは? 荒木 小学3年の時にプロ野球のテレビ中継を見たあと、父親とキャッチボールしたのが最初です。その後、地域のソフトボール

    荒木雅博はドラフトで外れ外れ1位指名に「ウソだろ? 勘弁してくれよ」 入団当初の評価は「身体能力は一級品だが野球の技術がない」
  • 「短命で終わってもいい」 石毛宏典が「黄金時代の最強の年」と語る西武を支えた渡辺智男は投球フォームにこだわっていた

    石毛宏典が語る黄金時代の西武(10) 渡辺智男 後編 (前編:PL学園時代の清原和博から3奪三振 西武・渡辺智男の「真っすぐ」のすごさ>>) ルーキーイヤーから3年連続で2桁勝利を挙げるなど、西武黄金時代の後期に先発投手として活躍した渡辺智男(わたなべ・とみお)氏。石毛宏典氏がエピソードを語る後編では、渡辺氏の投球フォームに関する2人のやりとりなどを聞いた。 1990年の巨人との日シリーズ第3戦で完封勝利を挙げた渡辺智男 Photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る 【日シリーズに初先発で初完封】――渡辺さんはルーキーイヤーの1989年に10勝(7敗)、翌90年は13勝(7敗)、さらに翌91年には11勝(6敗)を挙げて最優秀防御率のタイトルを獲得しました。特に1990年は、石毛さんが「西武・黄金時代の中でも最強の年」と言うチームの一翼を担う存在だったと思いま

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