2008年10月2日のブックマーク (6件)

  • 任天堂が新型ニンテンドーDS「DSi」発表…11月1日発売、1万8900円 : 痛いニュース(ノ∀`)

    任天堂が新型ニンテンドーDS「DSi」発表…11月1日発売、1万8900円 1 名前: 民主工作員(大阪府) 投稿日:2008/10/02(木) 14:24:12.75 ?PLT 日、任天堂が「任天堂カンファレンス2008秋」にて正式に 新型のニンテンドーDS「ニンテンドーDS i」を発表しました。 「ニンテンドーDS i」は液晶画面が両画面とも3.25インチへ拡大するほか、30万画素カメラ、オーディオ機能、ブラウザを搭載。2.6mm薄型化され、GBAスロットが廃止されるとのこと。 また、撮影した写真はWii写真チャンネルで閲覧できるほか、音楽再生機能 「ニンテンドーDSiサウンド」はピッチと再生スピードを自由に調整可能となっており、 語学練習や音楽耳コピーなどにも活用できるとしています。 なお、新たに体に保存メモリを搭載することでアプリケーションを体に内蔵 してセレクトができるほ

    任天堂が新型ニンテンドーDS「DSi」発表…11月1日発売、1万8900円 : 痛いニュース(ノ∀`)
    loderun
    loderun 2008/10/02
    う~ん、実際のところこのDSiで、「ニンテンドーDS」というプラットフォームはあとどれくらい市場を引っ張れるだろう?
  • 『【DiGRA JAPAN 公開講座】同人ゲームの過去・現在・未来』

    ゲーム作家・ゲーム研究者遠藤雅伸のブログです。 ゲームに関する話題を、ビジネス、アカデミック両面からも取り上げます。 日デジタルゲーム学会 DiGRA JAPAN 公開講座のレポート。 今回は「同人ゲームの潮流」というシリーズの1回目になる。 テーマは「同人ゲームの過去・現在・未来」ということで、普段は同人ゲームに縁のない人達への導入も含め、七邊信重(東京大学大学院情報学環特任助教)、井上明人(国際大学GLOCOM研究員/助教)の2先生の講演。詳しい内容は最後にいろいろとリンクしておくので、そちらを参照のこと。 左:七邊信重氏 右:井上明人氏 このブログでは、遠藤が新しい知識として得た部分、定義付けされて納得した部分を中心に、主観的観点からまとめる。2先生は別々の観点から話されたのけど、適当にまとめて、遠藤の分かりやすい形にした。それでも十分に長文だけどね。 --------------

    loderun
    loderun 2008/10/02
    ↓数ヵ月後、そこには「ひぐらし」を熱く語る遠藤氏の姿が!(笑)
  • ぶる速-VIP セガはどのメーカーよりも優れたハードを出してたのに衰退した理由

    セガはどのメーカーよりも優れたハードを出してたのに衰退した理由 1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]投稿日:2008/09/30(火) 18:11:09.57 ID:BbBjF6ew0 を考えてみよう 3 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]投稿日:2008/09/30(火) 18:11:40.55 ID:gXZgoSMk0 時代がセガに追いつけなかった 7 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]投稿日:2008/09/30(火) 18:12:56.63 ID:vKSo0bYn0 >>3が全く正しいシェンムー3マダー 5 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]投稿日:2008/09/30(火) 18:12:44.16 ID:Nx0OwXzC0 あの頃のスクエアの影響力っていったら・・・ 6 名前:以下、名無し

    loderun
    loderun 2008/10/02
    セガハードだからです←結論
  • 【任天堂「ファミコン」はこうして生まれた】 第6回:業務用ゲーム機の挫折をバネにファミコンの実現に挑む - 日経トレンディネット

    携帯型ゲーム機の「ゲーム&ウォッチ」がヒット商品になろうとしていたころ、任天堂の開発第二部は業務用ゲーム機の開発に手を染めていた。ところが1981年に開発した「レーダースコープ」が不発に終わり、大量の在庫を抱えてしまう。ハードウエアをなんとか生かそうと社内公募でアイデアを募り「マリオ」が登場するドンキーコングが生まれた。このドンキーコングの回路がファミリーコンピュータ(ファミコン)の母体となった。ファミコンの開発は1982年の春にスター卜する。 任天堂 製造部 開発第一部に所属していた横井軍平(敬略、以下同)と岡田智のコンビで開発した携帯型ゲーム機「ゲーム&ウォッチ」がヒットし始めた1980年代初め、上村雅之が率いる開発第二部は業務用ゲーム機の開発に乗り出していた(図1)。1979年の「ブロック崩し」を最後に専用LSIを使った家庭用ゲーム機からは手を引き、CPUを搭載する業務用ゲーム機に

    【任天堂「ファミコン」はこうして生まれた】 第6回:業務用ゲーム機の挫折をバネにファミコンの実現に挑む - 日経トレンディネット
    loderun
    loderun 2008/10/02
    6かいめ~
  • 【任天堂「ファミコン」はこうして生まれた】 第5回:試行錯誤のなかから十字ボタンを見いだす - 日経トレンディネット

    前回に引き続き,携帯型ゲーム機「ゲーム&ウォッチ」の開発に焦点を当てる。任天堂にとって、ゲーム&ウォッチの開発に必要だったのが、液晶とマイコンの利用技術だった。そこで、シャープを口説き落とし、共同開発のパートナとした。こうして、1980年に商品化にこぎ着ける。以後、約70種の製品を市場に投入した。販売台数は合計で4800万を超えることになる。品種展開のなかで、後にファミコンにもそのまま採用されることになる十字ボタンが登場する。 携帯型ゲーム機「ゲーム&ウォッチ」は、製造部開発第一部部長(現製造部開発技術部職)の横井軍平(敬称略、以下同)が、新幹線の車中で、電卓で遊ぶサラリーマンを見て、「大人が人知れず車中に持ち込んで楽しめる小さなゲーム機」を思い立った。 この製品の具体化に向け、技術を担当したのが製造部 開発技術部部長(現職)の岡田智である。新しいゲーム機作りが大好きな岡田は、液晶デ

    【任天堂「ファミコン」はこうして生まれた】 第5回:試行錯誤のなかから十字ボタンを見いだす - 日経トレンディネット
    loderun
    loderun 2008/10/02
    5かいめ~
  • 【任天堂「ファミコン」はこうして生まれた】 第4回:携帯型ゲーム機を発想 - 日経トレンディネット

    任天堂は1980年に携帯型ゲーム機「ゲーム&ウォッチ」を市場に投入した。この製品は4800万台以上販売され、大ヒット商品となった。同社にとっては、1977年に発売した専用LSI搭載型のゲーム機「カラーテレビゲーム」に次ぐ家庭用ゲーム機である。この2品種を手掛けた経験が、後にファミコンを生む原動力になる。現在市販の携帯型ゲーム機「ゲームボーイ」はゲーム&ウォッチの後継機。今回は、このゲーム&ウォッチを発想してから、製品コンセプトを固めるまでを紹介する。 1977年に登場した専用LSI搭載型ゲーム機に続き、任天堂の大ヒット商品になったのが「ゲーム&ウォッチ」である(図1)。1台のゲーム機で2種類のゲーム・ソフトを内蔵してある。時刻の表示機能もある。 1980年の発売以来、8年間で約70機種をシリーズ展開し世界の市場に投入した。販売台数は4800万台を超える。ゲーム&ウォッチのシリーズ途中から採

    【任天堂「ファミコン」はこうして生まれた】 第4回:携帯型ゲーム機を発想 - 日経トレンディネット
    loderun
    loderun 2008/10/02
    4かいめ~