長崎の沖合5kmほどのところに、かつて炭鉱で栄えた「池島」という小さな島がある。炭鉱だった島といえば、同じく長崎の端島、通称・軍艦島が有名だが、そちらが1974年に閉山したのに対し、こちらは2001年に閉山。ギリギリ21世紀まで営業していた。 池島には現在も人が住み生活している。が、産業がなくなった島はその後どうなっていくのか。そこにはなんとも独特な景観が広がっていた。
長崎の沖合5kmほどのところに、かつて炭鉱で栄えた「池島」という小さな島がある。炭鉱だった島といえば、同じく長崎の端島、通称・軍艦島が有名だが、そちらが1974年に閉山したのに対し、こちらは2001年に閉山。ギリギリ21世紀まで営業していた。 池島には現在も人が住み生活している。が、産業がなくなった島はその後どうなっていくのか。そこにはなんとも独特な景観が広がっていた。
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長崎の沖合いの島、端島。周囲1200mの小さな島。1810年に石炭が発見され、明治に入ってから本格的に開抗されたこの島は、良質の石炭を産する島として海底炭鉱の開発がすすめられ、三菱石炭鉱業の主力炭鉱として栄えていた。小さな島は埋め立てによって次第に拡張され、本来の島は現在の1/3ほどの面積だったという。それでも狭い島に大勢の人が働くために、鉄筋コンクリートの高層アパートが林立し、最盛期には5000人以上の人々が生活していた。 細長い狭い島に高層建築がひしめく異様な姿が、三菱造船長崎造船所で建造された戦艦『土佐』に似ていることから、軍艦島と呼ばれた端島。その島の炭鉱は1974年1月15日に閉山され、4月20日には無人島になった。多くの建物は取り壊されることもなく、往時の姿をとどめたまま次第に朽ち果てていく。いつしか、軍艦島は“廃墟の島”として好事家に知られる島になった。 NHKのドラマのロケ
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