ブックマーク / www.homes.co.jp (3)

  • 愛着あるリノベマンションを売ると決めて住み替え。再度実感した家づくりへの思い(沙東すず) - よくわかる!不動産売却【ホームズ】

    こんにちは、沙東すずと申します。会社勤めのかたわら、旅や生きものに関するや文章を書いたり、「昆虫大学」というクリエーターイベントを主催したりすることもある会社員です(「メレ山メレ子」名義で長年活動していましたが、2023年に改名しました)。 趣味の一つは「家づくり」です。現在は自身にとって2軒目となる中古マンションをフルリノベーションして入手、壁を自分で塗装するなどして少しずつカスタマイズする暮らしを楽しんでいます。 今回は、1軒目のマンションを売却した経験と、それを通じて感じたことについて書いていきます。 売却物件の詳細 ・間取りと広さ:1LDK(購入当時の2DKをフルリノベーション)/45平米 ・立地:東急東横線 多摩川駅 徒歩8分 ・築年数:52年(2023年の売却当時) ・居住年数:約7年(※うち2年半は上海に出向) ・購入価格:2,730万円+改装費用770万円 ・売却価格:3

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    lonelyman
    lonelyman 2024/06/25
  • 【川崎・鹿島田】高度経済成長期の職工向け住宅地から、タワーマンション街へ変貌した川崎の街

    川崎市というと、臨海部は大工場地帯、丘陵地帯が小田急線や東急田園都市線沿線の住宅地、最近は武蔵小杉のタワーマンションが思い浮かぶであろう。 だが、京浜工業地帯として発展した川崎は、戦前は今の川崎区と幸区だけが市内であり、そこを中心として工業化に伴う人口増加を受け入れる住宅が供給された地域である。 武蔵小杉のある橘樹郡中原町は、昭和初期までは農家が副業として醤油やそうめん、紙などの手工業製品を生産していただけであった。1926年には東横線が開通し、沿線の発展が始まった。南武線沿線の武蔵小杉から溝の口までは畑作地帯であったが1930年代に多くの軍需工場が進出したのである。 だが南武線沿線を遠くから見渡すと、武蔵小杉はもちろん溝の口周辺は、鹿島田駅や横須賀線の新川崎駅のあたりにも多くのタワーマンションやオフィスビルが目に付くようになった。

    【川崎・鹿島田】高度経済成長期の職工向け住宅地から、タワーマンション街へ変貌した川崎の街
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    lonelyman 2022/01/15
  • 日本初の女性建築家・浜口ミホ設計の住宅が住み継がれることに。継承を支えた住宅遺産トラストに聞いた

    浜口ミホという建築家をご存じだろうか。情けないことに私は知らなかった。存在が知られていなかった彼女の設計による住宅が発見され、継承されることになったと聞き、慌てて調べてびっくりした。浜口ミホは日で女性初の一級建築士だったのだ。しかも、今では当たり前になっているダイニング・キッチンの普及に多大な役割を果たしたのが彼女。戦後、日住宅、特にキッチンを大きく変えた人だったのである。 1915年に中国の大連で生まれた浜口ミホは、東京女子師範学校(現・お茶の水女子大学)で家政学を学んだ。その後、当時はまだ女子学生の入学が認められていなかった(!)ため、聴講生として東京帝国大学の建築学科の授業に参加。1939年に修了後、東京文化会館や世田谷区役所などで知られる前川國男建築設計事務所で建築を学び、そこで出会った日最初の建築評論家である浜口隆一と1941年に結婚。農村建築研究のための北海道滞在を経て

    日本初の女性建築家・浜口ミホ設計の住宅が住み継がれることに。継承を支えた住宅遺産トラストに聞いた
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    lonelyman 2021/11/25
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