姫路城の約2倍の規模 日本に降伏を迫るため 木造化、完成は5年半後 市長選の争点にもなった名古屋城。5月14日は、その名古屋城が空襲によって焼失した日です。戦争末期、1945年のことでした。名古屋城の歴史を振り返ります。 姫路城の約2倍の規模 名古屋城は徳川家康の命で1610(慶長15)年に築城がはじまり、2年後に5層5階、石垣上の高さ約36メートルの天守が完成しました。 天守は延べ床面積4564平方メートルで姫路城の約2倍の規模がありました。1930年に国宝に指定されましたが、1945年5月、アメリカ軍の空襲で天守や本丸御殿が焼失しました。 天守は1959年にコンクリート製で再建され、一帯は国の特別史跡に指定されています。
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