タグ

映画と批評に関するlotusteaのブックマーク (2)

  • 『Fujita』はなぜ映画としても伝記としても失敗なのか REALKYOTO

    浅田 彰(あさだ・あきら) 1957年、神戸市生まれ。 京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長。 同大で芸術哲学を講ずる一方、政治、経済、社会、また文学、映画、演劇、舞踊、音楽、美術、建築など、芸術諸分野においても多角的・多面的な批評活動を展開する。 著書に『構造と力』(勁草書房)、『逃走論』『ヘルメスの音楽』(以上、筑摩書房)、『映画の世紀末』(新潮社)、対談集に『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)、『20世紀文化の臨界』(青土社)などがある。 最新のエントリー 19.05.01 昭和の終わり、平成の終わり 19.03.29 原美術館のドリス・ファン・ノーテン 19.03.07 マックイーンとマルジェラ――ファッション・ビジネスの大波の中で 18.12.07 映画のラスト・エンペラー――ベルナルド・ベルトルッチ追悼 18.11.03 トランプから/トランプへ(5)マクロンとトラン

    lotustea
    lotustea 2016/01/14
    浅田彰の「FOUJITA」評と藤田嗣治評
  • 『トイ・ストーリー3』と朽ちたイチゴの香り - きみにとどけてれぱしー

    『トイ・ストーリー3』の予告を観た時のことは今でも覚えている。あまりに鮮烈で、その後に流れた映画編の内容が頭に入らない予告は初めてだった。それは一緒に観に行った友人も同じだったようで、映画が終わって事をしている時も来観たはずの作品については全く触れずに予告の話で盛り上がっていた。別れというテーマが簡潔に、それでいて明確に表現されている内容はもちろん、個人的にはビデオ特有の粗い映像が憧憬の対象として、取り戻すことのできないものとして表現されているのが新鮮だった。日のシネマ・コンプレックスではフィルム上映とデジタル上映が混在していた2010年に観られたのも幸福だったのかも知れない。それから2年が経過した今では、予告を観た映画館は全ての作品をデジタルで上映している。 しかし胸を打つ予告を観てしまった者の常として、つい余計な心配もしていたのだった。つまり編は予告を越えられるのだろうかと。

    『トイ・ストーリー3』と朽ちたイチゴの香り - きみにとどけてれぱしー
    lotustea
    lotustea 2012/07/10
    トイ・ストーリー3のカメラの視点について,興味深い指摘。
  • 1