今日は華厳経の教えから 代表的な考え方の一つ 「一即多・多即一」を取り上げさせて頂きます。 <東大寺のお坊様の法話より> 「一即多・多即一」 即は「すなわち」あるいは「そのまま」と読めます。 「ひとつはたくさん、たくさんはひとつ」または、 「小は大であり、一つがすべてである・・・」と言い換えられます。 私たちは、小とか大とか個と全体とかは、動かし難い評価だと思いがちです。 でも、見方を変えてみると たとえば、 「私」という一人(個)は、一つ一つの細胞から成り立る「多」であります。 そして、その細胞も核やら原形質やらで組織され、 たんぱく質や水から成る「多」でもあります。 見方を変えて、 衣類や家、国家や地球・・・を観察してください。 どれもが一であり「多」でもあることに気づく筈です。 どんなに小さな細かいことでも、 他に影響を与えている。 どんなことでも、他から働きかけがあって成立している
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