2010年3月19日のブックマーク (3件)

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    lovetanka
    lovetanka 2010/03/19
    黒崎幸吉著「註解新約聖書」を「大島守夫、高橋照男、湯浅鉄郎の三氏がweb化。文語訳、口語訳、新改訳、新共同訳など6種の日本語訳新約聖書を同時に読め、註解・要義も参照できる。偉業。
  • Pastorまことの聖書一日一生

    聖書通読ブログヨブは、ビルダデの意見を受け入れている。おかしいと思うところがあるのに反論できずに言い負かされてしまったようなみじめさがあるのではないか。確かに神は義しい。しかし、だからといって自分に罪があるとは思えない。いや、自分がわからない(21節)。自分がどんな罪を犯しているのか。罪とも思わずに罪を犯しているのか。実に神経がまいってしまうようなことではないだろうか。 ヨブの気持ちの中には、自分は自分を見失ってはおらず、自分に間違いはないという確固たる思いがあったのだろう。しかしあるいは自分が自分を見失っていることもあるかもしれない。ただその可能性は薄い。私は間違っていない。では、どうして私は責められるのか。ヨブは、二つのことを神に訴えている。 第一に、人は神と争うことはできないということ(1-13節)。誰が神に逆らうことができようか。神は、神であって人ではない。神と人との間には大き

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    lovetanka 2010/03/19
  • 聖書日課 — Tottori Bible Church

    黙示録の最終章、聖書の締めくくりは神の都のいのちに溢れる様です。都の大通りにはいのちの川が流れ、両岸にはいのちの木があって、毎月実がなり、その木の葉は諸国の民をいやした、と[1,2] 。 すぐに気付くのは、創世記のエデンの園です。そこにも一筋の川が流れ、園を潤し、その中央にはいのちの木が生えていました<創世2:9>。アダムもエバも取ってべ、より優れたいのちを得ていたはずでした。 そうです。黙示録は結局あのエデンの園に通じていたのです。人は堕落により園から追放され、いのちの木から遠ざけられました。実に無念です。しかし、主なる神は、そのエデンの園に至る回復の道を、イエス・キリストにあって用意してくださっていたのです。 いいえ、単なるエデンの園の回復ではなく、それ以上です。天国には夜がありません。「善悪の木からはべてはならない。」という律法の原形もなく、いつの間にか忍び寄っていた蛇、サタンも

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    lovetanka 2010/03/19