ここ数年、「ジョブ型雇用」という言葉が急速に広まっている。 みなさんも、ニュースでよく耳にするんじゃないだろうか。 ジョブ型は各仕事に対し、適したスキルを持った人を割り振っていく。 日本のメンバーシップ型はその逆で、まず人を採用し、その後割り当てる仕事を決めていく。 メンバーシップ型を成立させていた年功序列や終身雇用といった前提が崩れたいま、世界と戦っていくためにも、日本はジョブ型に切り替えるべきだーーという主張は、少し前からのトレンドだ。 ただこのジョブ型採用、どうにも誤解されているというか、「上澄み」を基準に議論しているような気がしてしょうがない。 みなさん、ご存じだろうか。 ジョブ型における「底辺」が、どんな生き方をしているのかを。 ジョブ型=生産性&競争力が高い専門家集団? 『2040年 「仕事とキャリア」年表』という本で、ジョブ型はこのように書かれている。 メンバーシップ型雇用を
「ただの記号論なんですよ、セルなんて。マーカーでアスカの絵が描いてあって、そこから宮村優子の声がすれば、もう十二分にアスカなんですよ」 庵野秀明が『月刊Newtype』のインタビューでそう言ったのはもう二十数年前の1996年6月号、最終回26話が放映されてファンの間で大論争になった直後のことだ。それはセルアニメーションにこだわるアニメファンを痛烈に批判し、これはただの紙に描かれた絵だ、現実に帰れと突き放す当時の有名な文脈の中で出た発言ではある。 だが逆に言えばその言葉は、日本のアニメーションにとって声優という存在がどれほど大きな存在であるか、キャラクターの身体性とヒューマニティ、アスカがアスカである自己同一性が宮村優子の声によってかろうじて視聴者と繋がれていることを意図せずに吐露した作り手の告白にもなっている。 エヴァンゲリオンのアフレコにおける庵野監督のこだわりを知らないファンはいない。
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