『大学』と『中庸』は、儒学の経典『礼記』に収録されていた2篇だ。荀子の時代の後、紀元前3世紀頃に著されたとされている(正確な時代は不明)。孔子が生きたのが紀元前5世紀(春秋時代)だったから、孔子の死後およそ200~300年間のうちに著されたことになる。 『大学』と『中庸』は、はじめ『礼記』に収録されている1章にすぎなかった。この2章に光をあてたのが、朱子学を創始した朱熹だ。朱熹は『礼記』から『大学』と『中庸』をピックアップし、『論語』と『孟子』と合わせて「四子書」とした。これがいわゆる四書五経のはじまりとされる。 ただし、朱熹は『大学』と『中庸』を原形そのままに受け継いだわけではない。朱熹は彼独自の解釈を加えたうえで、それらをみずからの理論のうちに取り込んだ。朱熹流の『大学』と『中庸』が本物とみなされていた時代もあったようだが、現代では文献研究を通じて、本来の姿をほとんどの部分について確認