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考察と社会に関するlxxeのブックマーク (5)

  • いち若者の立場から、若者が何も主張しない理由を主張してみる - yuhka-unoの日記

    格差と若者の非活動性について (内田樹の研究室) Q1.現在、世界では、経済格差(世代間格差ではなく、金持ちとそうではない人との格差)や社会への不満に対して、多くの若者たちが声を上げ、デモを起こし、自分たちの意見を社会に訴えようと行動しています。翻って日ではここ数十年、目に見える形での若者の社会的行動はほとんど見られません。これだけ若者たちにしわ寄せが行く社会になっているのに、そして政策的にも若年層に不利な方向で進んでいるのに、若者たちはなぜ、社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのでしょうか? それは特に不満を感じていないからなのか、それともそうした行動に対して冷めているのか。あるいは社会的に連帯するという行為ができないのか。ネットにはけ口が向かっているだけなのか。内田さんはどのようにお考えでしょうか? なぜ若者が何も言わないのか? 答えは単純。「言っても無駄だと思っているから」。

    いち若者の立場から、若者が何も主張しない理由を主張してみる - yuhka-unoの日記
  • 空気で議論するネットのひとたち - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

    メカAG氏のブログ記事が面白かった。 メカAG氏の指摘を誤読し、ソースを元に組み立てない議論なんてなんの意味があるのかみたいなコメントも多くあったが、そのとおり、確かに根拠をきちんと明示して論理的な議論を組み立てるためであれば、むしろソースはとても大事なのだが、ソースをコピペだけして、はい、論破。みたいなのは極端にしても、ソースと自分の主張と現実との因果関係をまともに説明できないのに議論しているつもりになっているひとばかりがネットに溢れている。 ネットでよく見る非論理的な論客を昔、twitterでこう評したことがある。 ・ ゾンビ型論客 ・・・ 議論でいくら斬られても痛みを感じず、気づきもしない。 ・ スケルトン型論客 ・・・ 議論で斬られたはずの論点が、時間がたつと再生する。 ・ スライム型論客 ・・・ 斬ると議論が分裂する。 彼らは論理的な思考力がそもそも備わっていないので他人の理屈を

    空気で議論するネットのひとたち - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記
  • カフェ・ヒラカワ店主軽薄 » 日本に瀰漫した信用の不在について

    いま、日に何が起きているのか。 あまりに大きく、複合的な災害の前でひとは、何を考え、どう動いていくのか。 被災地の救援、復旧、復興へ向けて、あるいは現在危機に瀕している避難場所の状況改善へ向けて、原子力発電所の安定化へ向けて、電力不足への対応に向けて、産業の停滞への対応に向けて、直ちにやらなければならないことは、あまりにも多く、どこからどのように手をつけていったらよいのかを冷静に判断することができない。 正直で、隣人愛にあふれ、モラルをもって行動することができる日ならきっとやれる、世界も日の冷静さを賞賛している、と思いたいが、しばらくは希望と現実の落差に苦悩することになるだろう。日人ひとりひとりの上に、やらなければならないこと、考えなければならないことが、個人の能力を超えてあふれ出しているからである。 正直に言えば、しばらく呆然としていたいのだ。 呆然と事態が移り行くのを眺めている

  • 「ゲーム中毒」の9割は中毒ではない:専門クリニックが発表 | WIRED VISION

    ゲーム中毒」の9割は中毒ではない:専門クリニックが発表 2008年12月 3日 社会 コメント: トラックバック (0) Nate Ralph Photo: smcgee/Flickr ビデオゲーム「中毒」になった人の社会復帰治療とカウンセリングを行なうクリニックによると、ゲームに対する強迫観念は、心理的な中毒とはあまり関係がなく、むしろ社会的圧力との関係が非常に大きいという。 オランダのアムステルダムで2006年に開設された『Smith & Jones Center』は、ビデオゲーム「中毒」の自覚がある患者の社会復帰治療とカウンセリングを目的とする施設を備えた、ヨーロッパ初で唯一のクリニックだ。 しかし、BBC Newsの報告によると、数年間にわたって研究を続けた結果、このクリニックでは方針を見直しているという。 施設に来ている強迫的なゲーマーたちは、「昔ながらのコミュニケーション」を

  • 「善意」がマスクに隠されなければならないワケ:日経ビジネスオンライン

    伊達直人という名前から即座に然るべき人物像を思い浮かべることのできる人間は、40歳を過ぎている。いや、40歳では不足かもしれない。45歳以上ではあるべきだろう。アニメ「タイガーマスク」がテレビで放映されていたのは、Wikipediaの記述によれば、1970年から71年の二年間だ。再放送(←何度かあった気がする)を考慮に入れても、やはり、1970年以前に生まれている人間でないと伊達直人という人名に対して正確な像を結ぶことは困難なはずだ。 ということはつまり、児童相談所の玄関先に、伊達直人の名義でランドセルが届けられたというニュースに対して、正しい評価を下すことのできる人間の年齢層にもまた、ある程度限られているはずなのだ。 私は、ドンピシャリの世代だと思う。中学生だった時代に、あのアニメを見ている。 「うっそくせえ(笑)」 と若干斜め方向から眺めていたきらいはあるが、それでも毎週欠かさずに視聴

    「善意」がマスクに隠されなければならないワケ:日経ビジネスオンライン
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