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キリスト教に関するm_onoのブックマーク (3)

  • イエス・キリストに会ってから信じても遅くないのでは: 極東ブログ

    ネットにはいわゆるネタというのがある。ただ話題のための話題というだけで、それ以上の意味はないが、ネタはネタだから話題にしてもりあがろうという不毛な遊びである。 その手のネタにぱくつくのもどうかとは思うが、たまたま「会ったことのないイエスという存在をどうしてキリストだと信じられるのだろうか」というネタを今朝方ツイッターで見かけて、ああ、この人、聖書読んだことないんだなと思った。 ヨハネによる福音書の話である。イエスの弟子であるトマスは当然生前のイエスを知っていた。その意味ではイエスに実際に会ったことがあるが、イエスが処刑されて死んだ後、復活されてキリストとなったということはトマスには信じられなかった。 十字架刑で手に釘をさされ、脇を槍で突かれて死に絶えたイエスがどうして復活するんだろう。そんなわけないじゃないか。イエスが復活したとか言っているやつ、どうかしてんじゃないの。頭おかしいんじゃない

  • 3年以上かけて旧約聖書を読んだ

    おそらく史上最大のベストセラーであり、今後、世界を席巻する新宗教でも生まれない限り、その記録を塗り替えられないであろう書物『聖書』のうち「旧約聖書」と呼ばれている部分をこのたび読み終える。ずいぶん長いことかかった。厚めの辞書ぐらいのサイズと重さなので持ち歩くわけにもいかず(小型版もあるけれども)、寝る前やなにかこれといって読みたいがない時ぐらいしか読み進められなかった。Amazonの注文履歴をみたら、2011年1月22日に注文、とある。そういえば、その年に大きな地震があった日の晩、自宅でを待ちながら聖書を読んでいた記憶がある。とくに信心深い気持ちになっていたわけではなく(そもそも信仰があって読みはじめたわけではかった)、当時はテレビを見ても不安に駆られるばかりだったから、ほとんど意味がわからない旧訳聖書のテキストを読んでいると、不思議と安心したからだった。 しかし、その「ほとんどなにが

  • バチカン、トルコでの1500年前の聖書発見に懸念

    バチカンが、トルコで、イエス・キリストが十字架に磔にされたことを否定する、1500年前の聖書のページが見つかったことに激しい懸念を表しました。 プレスTVによりますと、この聖書はバチカンを強く懸念させており、それはこれに「バルナバスの福音書」が含まれているためだとしています。バルナバスはイエスの弟子です。 この書物は2000年に発見され、アンカラの民俗学博物館に保管されているということです。 この書物は皮でできており、イエスが使っていたエラム語で書かれています。この書物の一部のページは時間の経過により黒くなっています。情報によりますと、この書物は専門家によって調査されており、その真正性が認められています。 研究者の一部は、この聖書を調査し、「イエスは十字架に磔刑にされず、さらに彼は神の子ではなかった。イエスは神の預言者だった」と述べています。 この書物の最後には、「イエスは生存しており、彼

    バチカン、トルコでの1500年前の聖書発見に懸念
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