<バブル期の入国管理法改正により日系ブラジル人が多く日本に移り住み、群馬県大泉町は「日本一ブラジル人率の高い町」になった。あれから四半世紀が過ぎ、移民受け入れが議論される日本で、彼らはどう生きているのか> 小倉(現姓・高野)祥子さんは、1958年、13歳のときに家族とブラジルに渡った。突然「ドミニカに行きたい」と切り出した兄に、母親が「一人で行かせるわけにはいかない」と言い、熟慮を重ねた父親が「家族全員で行けるブラジルにしよう」と決断したのだという。 2カ月の船旅(5歳下の妹は泣き通しだった)の末にブラジルに着くと、「まるで奴隷が売り買いされるよう」にして雇用主と面接。実際、厳しい環境で働かざるを得ない家族も多かったらしいが、一家は幸いにして地元の裕福な名士に雇われ、十分すぎる待遇を受けたという。 おかげで学生生活を謳歌できたという祥子さんは、高校卒業後、日本で大学を卒業してからブラジルに