鎌倉 景正(かまくら かげまさ/平 景正(たいら の かげまさ))は、平安時代後期の武将。父は桓武平氏の流れをくむ平景成とするが、平景通の子とする説もある。通称は権五郎。名は景政とも書く。 略歴[編集] 父の代から相模国鎌倉(現在の神奈川県鎌倉市周辺)を領して鎌倉氏を称した。居館は藤沢市村岡東とも、鎌倉市由比ガ浜ともいわれる。 16歳の頃、後三年の役(永保3年〈1083年〉 - 寛治元年〈1087年〉)に従軍した景正が、右目を射られながらも奮闘した逸話が「奥州後三年記」に残されている。戦後、右目の療養をした土地には「目吹」の地名が残されている(現在の千葉県野田市)。 長治年間(1104年 - 1106年)相模国高座郡大庭御厨(現在の神奈川県藤沢市周辺)を開発して、永久4年(1116年)頃伊勢神宮に寄進している。 子の景継は、長承4年(1134年)当時の大庭御厨下司として記録に見えている。ま