愛知県名古屋市中区生まれ[2]。名古屋市立名古屋商業学校(現在の名古屋市立向陽高等学校)を経て[2]、1945年(昭和20年)愛知県立工業専門学校(現在の名古屋工業大学)に入学[2]。理工系学生であったため徴兵猶予になるも、大日本帝国海軍に志願入隊[2]。海軍特別幹部練習生として[2]、特攻隊である伏龍部隊に配属になり[要出典]、訓練中に終戦を迎えた。これについて城山は「日本は明治維新と敗戦の2度、上の世代が飛んで、すっかりいなくなったからね。それが良かったのかもしれないねぇ」と語っている[3]。1946年(昭和21年)、東京産業大学(現在の一橋大学)予科入学[2]、1952年(昭和27年)一橋大学(山田雄三ゼミナール)を卒業[2][4]。卒業論文は「ケインズ革命の一考察」。 父が病気になったため帰郷し、岡崎市にあった愛知学芸大学(現在の愛知教育大学)商業科文部教官助手に就任[2]。担当は