ラ・ムー結成直後の歴史的な映像をYouTubeで見つけた。 この曲、確かにひどすぎるけどサビはいいので、がんばって聞いてね。 当時はさっぱり理解できなかったけど、今ならわかる。これはシーラ・Eがやりたかったんだね。 プロデューサーの藤田浩一(角松とオメガトライブの産みの親)は徹底して菊池桃子に16ビートを歌わせようとしていたんだけど、なぜ菊池桃子でそこにこだわったのかは本当に謎。 あと、この頃の古舘は真のジャーナリストだった。「東海林太郎がブレイクダンスを踊るようなもの」だって(笑)。 ラ・ムー関連『菊池桃子と木村カエラ、どっちが本当のロックだ?』(A面)