ブックマーク / jp.rbth.com (26)

  • ロシアの巨大工場:極秘の地下潜水艦基地 | ロシアNOW

    バラクラヴァはクリミアのセヴァストポリから10キロの所にあるリゾート都市である。そこには825 CTSという名前の極秘潜水艦基地がある。 http://nl.media.rbth.ru/all/2015/06/18/bala/2.jpg この巨大な戦略的基地の機密を守るため、この都市を市外局番の「825」と呼ぶ決定がなされた。こうして「825 CTS」という略号ができたのだった。 エフゲニー・アレクセーエフ http://nl.media.rbth.ru/all/2015/06/18/bala/3.jpg バラクラヴァの機密潜水艦基地の建設は、ソ連と米国の間の冷戦が格化していた1957年に着工された。 エフゲニー・アレクセーエフ http://nl.media.rbth.ru/all/2015/06/18/bala/4.jpg これは潜水艦の保守と修理を行うための巨大な基地で、内部を大規

    ロシアの巨大工場:極秘の地下潜水艦基地 | ロシアNOW
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    machida77 2015/07/14
    大規模地下施設好き必見。
  • ロマノフ家殺害の事件簿 | ロシアNOW

    ロマノフ一家殺害事件の捜査が可能になったのは、ほぼ100年後である。現代ロシアの法律に時効がないためだと、ソロヴィヨフ氏は説明する。ソ連当局は当時、この事件に関心を持っていなかった。 何よりも、エカテリンブルク近郊で発見された遺骨を一家のものと証明することが難しかった。「伝説の紐解きが犯罪学者の仕事。通常の職務の範囲を越えて、非常に興味深い作業に取り組むことができるようになった」とソロヴィヨフ氏は話す。 証拠物件を探せ 初期捜査は20世紀初め、白衛兵によって行われた。捜査官はナミョトキン、セルゲエフ、ソコロフで、ソコロフは捜査の鍵となる重要な証拠物件を大量に押収した。「世界に散在する『ソコロフ事件簿』を探すことにした。軍事検察庁には4巻しか保存されておらず、その後世界中を探しまわった」とソロヴィヨフ氏。ソコロフは海外に亡命する際、資料の一部を国外に持ち出した。 ソロヴィヨフ氏はまず、イギリ

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    machida77 2015/05/02
    ロマノフ一家殺害とDNA鑑定。
  • ロシアマフィア全盛の90年代と今 | ロシアNOW

    「マフィア」という言葉を聞いてロシア人がイメージするのは1990年代。市場経済へと急激な舵取りをした時代。組織犯罪は勢いよく拡大していった。この時期は犯罪者が資産を合法化し、政府への扉を開けられた時代でもある(高官の汚職増加に関連)。ゆすり、売春、ホテル・カジノ事業、麻薬密売など、活動領域は大きく広がった。 混乱の1990年代 1990年代、すでに存在していた泥棒集団に、たくさんの新たなグループが加わった。その多くは従来のやり方を認めず、やりたい放題だった。 マフィアは地域別に結成されることが多かった。例えば、1990年代に影響力のあったグループは、モスクワ市ソンツェヴォ地区の「ソンツェフスカヤ組織犯罪グループ」や、モスクワ市オレホヴォ・ボリソヴォ地区の「オレホフスカヤ組織犯罪グループ」。だがその活動領域は地域に縛られておらず、ソンツェフスカヤはその隆盛期、モスクワ市およびモスクワ市郊外の

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    machida77 2014/12/30
    ロシアのマフィア事情
  • ドリトル先生がアいたた先生に | ロシアNOW

    欧米の傑作児童文学の多くが、ロシアで翻案版になっている。それは「クマのプーさん」、「やねの上のカールソン」、「メアリー・ポピンズ」、「不思議の国のアリス」、「ニルスのふしぎな旅」、「ロビンソン・クルーソー」など。中でも代表的な翻案作品を特集する。  ドリトル先生と仲間たち 小説家コルネイ・チュコフスキーとそのアイボリット先生(アいたた先生)からすべてが始まった。アイボリット先生は、ヒュー・ロフティングが生んだドリトル先生の親戚。チュコフスキーは、ロフティングとは関係なく、優しい先生の物語を書こうと考えていた。「10月革命前から童話を書こうと思っていた。ヴィリノ(現ヴィリニュス)に住む、アイボリット先生のような先生に出会ったから。名前はシャバド先生。それまでの人生で会った人の中で、一番優しい人だった。貧しい子どもを無料で治療していた。子どもたちは病気の動物も連れてきていて、こんなに優しい先生

    ドリトル先生がアいたた先生に | ロシアNOW
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    machida77 2014/10/26
    ロシアで翻案され、独自の変化を遂げた欧米児童文学の紹介。
  • 歩兵から貴族まで守ったロシアの鎧 | ロシアNOW

    全欧州で有名だったロシア製鎖かたびら  優秀な鎧と言えば、ロシアではなく、中世の西ヨーロッパの職人を思い浮かべる。しかし、東欧、カフカスやウラル地方などの1000年前の埋葬地から、ロシアの鎧は発掘されている。12世紀のフランスの詩にも、「ロシア製の素晴らしい鎖かたびら」に関する記述がある。  鎧作りには、大槌を使うことのできる強力な腕力と、精密な金属細工の技術が必要である。鎖かたびらは特に需要の高い鎧の一種であったが、金属を針金にするためには、より進んだ技術を要した。 ロシアの鎧職人はこの技術を10世紀には既にマスターしていた。赤く熱い鋼は、どんどん細くなる穴を通された。職人は針金を切って、輪になるように曲げ、一個一個繋げて鎧を作った。一着の鎖かたびらには2万個以上の輪が必要だった。 中世ロシアの甲冑 // ドミトリー・コロベイニコフ/ロシア通信 鎖かたびらを一着作るためには何ヶ月もかかり

    歩兵から貴族まで守ったロシアの鎧 | ロシアNOW
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    machida77 2014/10/23
    チェーンメイル生産地としてのロシア。
  • ソ連・ロシアの指導者たちとスポーツ | ロシアNOW

    サイクリングで車に轢かれたレーニン  ソビエト政権の創設者であるウラジーミル・レーニンは大変なチェス・ファンだった。イタリアで撮られた、レーニンともうひとりのボルシェヴィスト、アレクサンドル・ボグダーノフがチェスに興じている写真には1908年の日付が入っているが、この写真は今日まで残っている。面白いことに、この対局の写真にはロシアの大作家、マクシム・ゴーリキーも写っている。彼のところに客として招かれていたのがレーニンだったのだ。 ヨーロッパへの亡命生活を余儀なくされていた頃、レーニンは自転車競技にも興味を持っていた。当時、自転車競技には少なからぬ勇気が要求された。というのも、当時の自転車は操作が今ほど簡単でなく、またパリの街路は決して安全ではなかったからだ。1910年のこと、彼はいつものようにサイクリングに出たが、その際事故に遭っている。後に彼は母親への手紙で、この事故を以下のように書いて

    ソ連・ロシアの指導者たちとスポーツ | ロシアNOW
    machida77
    machida77 2014/07/24
    ソ連・ロシアの書記長・大統領が好んだゲームやスポーツ