↑「百鬼夜行」東北大学附属図書館蔵 古代には、怪異現象や化け物が出現すると、それがどのような危険を知らせているのか、王権が判断し、儀礼や祈願をして鎮める習わしがありました。当時の公家の日記には、夜な夜な平安京の大路を、姿のない「もののけ」と呼ばれる化け物たちが歩いていたことが記されています。彼らは室町期の百鬼夜行絵巻のなかで姿を与えられましたが、それは鬼や獣、古い道具が化けた「つくも神」たちの集団でした。 社会や政治が不安定になると怪異は増えました。各地でさまざまな人々が、不可思議な現象や化け物を記録するようになります。江戸時代になると、怪異の情報は江戸へと集められて、名前をつけて分類し、妖怪たちは「化物」(ばけもの)として図鑑化されます。 その一方で近世後期の江戸は、妖怪が属する自然界よりも、お金の論理が強い社会となっていたために、妖怪たちは現実の恐怖ではなく、架空のキャラクター商品とし