「蜂起は決して道徳的状態ではないが、しかしそれは共和国というものの 永久的状態でなければならない。」 ――サド 「フランス人よ、共和主義者たらんとすればいま一歩の努力だ」 「郊外蜂起」以前/以後 2005年10月27日から11月半ばまでつづいた、ブーナ・トラオレとジエド・ベンナという「フランス人」少年の痛ましい死を発端としたフランスの「郊外蜂起」。これに対するフランス政府の対応のうちには、自らの過去に対する無感覚さが認められた。なぜならば、植民地主義の遺産たる移民を出自とする者たちが多く住まう「郊外」に、アルジェリア独立戦争に由来する「非常事態令」を適用したのであるから。 その後もフランスでは、シオニスト知識人にして「新反動家」であるアラン・フィンケルクロートがこの「郊外蜂起」を巡り11月17日付のイスラエルの日刊紙『ハアレツ』紙上でおこなった人種主義発言(「民族・宗教的特徴を有する反乱