地中海の国にある野球の世界は驚きに満ちていた。 セリエBといえば聞こえはいいが、もちろんプロじゃない。トップチームの仲間たちは当時30歳になったばかりの僕とほぼ同年代で皆、本業を持っていた。 主将で遊撃手のアントニオは印刷屋。アメリカかぶれなので「俺のことは“トニー”と呼べ」と全員に命じていた。控え捕手のフランチェスコは薬剤師で、いつも練習帰りに「乗ってくか」とベスパの後ろに乗っけてくれたナイスガイだ。もう一人いる別のフランチェスコは無職の主戦投手で、本人曰く「俺のストレートは最高速130キロ」だが、スピードガンがクラブにないので信憑性がなかった。ついでにスタミナもなかった。 練習は週3度で、週末に試合というルーティン。移動は分乗。決まった集合時間はなく、各自が仕事の都合に合わせて可能な時刻に三々五々集まった。スーパー店員、運送屋、PCサービス等など、それぞれの職業はバラバラだったが、野球