「脱ダム」 かつては“東の八ッ場、西の川辺川”と、ダム計画の白紙撤回で話題を集めた熊本県知事の蒲島郁夫。 そんな彼が12年前の決断を一転し、ダム建設を容認した。 65人の県民の命を奪った豪雨災害から4か月後、彼が翻意した理由とは何だったのか。 (高橋遼平、丸山彩季) 11月19日、蒲島の姿は熊本県議会本会議場の壇上にあった。 黙とうをささげ、議場を埋め尽くす報道陣と県議たちの視線が注がれるなか、口を開いた。 「12年前、同じ議場において、私自身が決断した問題に再び向き合うことに、重大な責任と、運命にも似た『使命感』を持ち、この場に立っている」 12年前のあの日―― 蒲島は同じ県議会の場で「ダムによらない治水対策を、極限まで追求する」と述べ、「川辺川ダム計画」の白紙撤回を表明した。 その自身の決断を180度転換し、国に川辺川でのダムの建設を求めたのだった。