破壊の進む平城京、ではなくて、古墳を破壊してできた平城京、というお話です。 今回の歴史ニュースでは、東側に「増設」された外京の部分で、いままで知られていなかった古墳群があったことが分かったときのう(2013年3月25日)橿原考古学研究所の発表がありました。 写真=平城京造営で壊された古墳群の埴輪片=25日、奈良県橿原市の県立橿原考古学研究所付属博物館(共同通信) 地図=朝日新聞より ご先祖のお墓をぶっつぶすのですから、おだやかではありません。 ただ、平城宮(大極殿のある王宮)のあたりを歴史散歩した人はご存じと思いますが、平城京をつくる際に数々の巨大古墳を壊していることはすでに判明しています。 大極殿の北側にあるこんもりとした円墳「市庭古墳」は、実は250メートルクラスの超巨大前方後円墳でした。 まちがいなく「倭王」(普通は天皇家の先祖とされている)クラスです。後方墳の部分がじゃまなので削っ
![平城京の建造のためにぶっつぶした古墳ちゃん(の破片)見つかる。当時、怨霊化防止はどうしていた? - 歴史ニュースウォーカー](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/cd0356a0eec294bada926463d2a49d757ad17a72/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn-ak.f.st-hatena.com%2Fimages%2Ffotolife%2Fe%2Femiyosiki%2F20130326%2F20130326113859.jpg)