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2007年10月11日のブックマーク (2件)

  • 「ゼロ年代の想像力」第5回を読み終えて - らいたーずのーと

    ■  『SFマガジン』(早川書房)誌上で連載されている評論、宇野常寛「ゼロ年代の想像力」も第5回を迎え、ついに「ポスト決断主義」作品の具体的な論述に入った。理解の遅い筆者もようやく、宇野氏の目指すところの物語像がおぼろげながら見えてきたのだが、そこでかの「ギートステイト」での東浩紀の雑記*1に書かれていた言葉がふと思い返された。東氏は宇野氏の目指すところの物語を指して「コミュニタリアンの文学」と称された。確かにそれは的確な名付けかもしれない。さらに東氏は『ギートステイト』を指して「リバタリアンの文学」と称された。この名付けもまた、十分に納得できる。しかし東氏は同時に、いわゆるセカイ系と呼ばれた作品群を指して「リベラルの文学」と称された。これについてはよくわからなかった。一応、東氏は、その名付けに「それはひとを傷つけてはならないという内向きの倫理の文学なので」という説明書きを加えている。それ

  • ゆきゆきて神軍

    ゆきゆきて神軍. <内容> 神戸市でとバッテリー商を営む奥崎謙三は、たったひとりの「神軍平等兵」として、 神軍の旗たなびくトヨタ・マーク2に乗り、今日も日列島を疾駆する。 そんな中、かつての所属部隊・独立工兵隊第36連隊のうち、ウェワク残留隊で隊長 による部下射殺事件があったことを知り、奥崎は遺族とともに真相究明に乗りだした。 なぜ、終戦後23日もたってから、二人の兵士は処刑されねばならなかったのか。 執拗ともいえる奥崎の追求のもと、生き残った元兵士達の口から戦後36年にして はじめて、驚くべき事件の真実と戦争の実態が明かされる。~公開資料より抜粋~ <始めに> 下記感想描写は、この映画の主人公である奥崎謙三という人物の言動・行動のみに 焦点を当てたものであり、映画の骨格そのものである「戦争」を茶化すような意図など、 微塵も含まれていないということを予めお断りしておきます。 ※1:奥崎