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2008年1月7日のブックマーク (4件)

  • 去りにし日々、今ひとたびの幻: 「素人の感覚」と旧社会党的「台所感覚の政治」の耐え難い緩サ

    トンデモで知られる自称科学者さんが「相対性理論は間違っている」と主張して、その理由を聞かれて「私には理解できないからである」と答えた-という話をどっかで読んだことがある。 確かに、時間が遅れるとか空間が歪むとかいった話は「世間の常識」や「一般人の感覚」「素人目線」では理解し難いし、相対性理論をちゃんと理解している人というのは自分も含めてほとんどいない。でも、世間はそれを受け入れている。というのも、いろいろな観測や実験、追試が積み重ねられ、その正しさが相当程度の手続きによって証明されているからで、理解できないからウソ・間違っているというなら、人間は天動説から一歩も進めない。 ということでまぁ、完全に明後日の方向に行った人は別として、「一般人の感覚からして」「素人の目線で言うと」「世間の常識」というような物言いは、一見、世間を代表した葵の印籠のように使われるけど、実はただの無知であったりトンデ

    maicou
    maicou 2008/01/07
    質の高い音楽なら売れるはず、という思想と似てる気がした
  • 無敵の人々 - 遠方からの手紙:楽天ブログ

    2007.12.03 無敵の人々 (19) カテゴリ:ネット論 タイトルをつけてから、しばし考えた。この言葉は、いったいどこからどのようにして、わが脳髄にいたり来たったのであろうか。 しばしの沈思黙考をへて浮かんだのは、かのドストエフスキーの 『貧しき人々』 と、10数年前になくなったイタリアの作家アルベルト・モラヴィアの処女作 『無関心な人々』 であった。あと、やや長いのであれば、戦前に書かれた葉山嘉樹の 『海に生くる人々』 なんてのもある。ただし、これは名前しか知らない。 ところで、タイトルの 「無敵の人々」 という言葉であるが、これは必ずしも 「負けない」 人たちという意味ではない。おやおや、「無敵」 ということは 「負けない」 ということと同じではないか、という異議がちらほらと聞こえてきそうであるが、とりあえず今はそういうことにしておく。 さて、ウェブ上を毎日のように散歩している方

    無敵の人々 - 遠方からの手紙:楽天ブログ
    maicou
    maicou 2008/01/07
    無敵の人。
  • benli: 正規レコード・CDの代替商品は何だったのか

    平成12年と平成18年のJASRACの収入を比較してみて、レコードやCDの売上減少分のうち適法な代替サービスに向かったと思われるものがどの程度あるのかを予想してみることにしました。 平成12年のオーディオディスクからのJASRAC収入が37,749,723(千円)なのに対し、平成18年のそれは 24,252,050(千円)ですから、この間の減収分は、13,497,673(千円)ということになります。ここから、ビデオグラム増加分4,780,484(千円)、着うた分2,189,716(千円)、その他音楽配信分2,167,863(千円)を差し引く(さすがに、「着メロ」は音楽CD等の代替とはならないでしょうから計算に含めていません。)と、残りは4,359,610(千円)となります。これは、オーディオディスクからの著作権料の減収分の約32.30%に過ぎません。 では、この残りの約32.30%は、違法

    maicou
    maicou 2008/01/07
    実はメインよりもカップリングのほうが良い曲が多い。そこに業界の一抹の良心を見る。
  • 嫌なら見るなよ。 - 煩悩是道場

    雑感 「嫌なら見るな」web上のいろいろなところで目にする、とても厭な言葉である。去年はSchool Daysと初音ミク界隈で見聞きした。嫌なら見なきゃいい、聴かなきゃいいのになぜわざわざ文句をつけるのだろう、と。これは相互理解を初手から放棄して自ら蛸壺に篭もる態度の表明である。新年もマシンガン その1:「嫌なら見るな」を撲滅したい - HINAGIKU 『らめぇ』嫌なら見るなという言葉を投げつけられる言説の多くはハナからポジティブな意見と「対話」をする気など所有していないのではないだろうか。相互理解を初手から放棄しているのは「嫌だ」という感情のみを放った側ではないのか。「嫌だ」という感情のみを放たずに「何故嫌なのか」「どのように嫌だと思ったのか」について語れば、そこにコミュニケーションが生まれるとは考えないのだろうか。 コミュニケーション・議論をする態度にある言説に対して「嫌なら見るな」