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2017年11月19日のブックマーク (4件)

  • 小池氏「護憲、遠慮願う」前原氏「当たり前」深夜の密談:朝日新聞デジタル

    「それでいきましょう」 東京・内幸町の帝国ホテル。民進党代表の前原誠司の提案に、東京都知事の小池百合子が同意した。傍らには、連合会長の神津里季生(りきお)や、小池に近いネットメディア会社代表の上杉隆もいた。 9月26日深夜のことだ。 前日の25日には、首相の安倍晋三が記者会見し、28日召集の臨時国会冒頭で衆院を解散すると表明。小池も会見し、新党「希望の党」を立ち上げて、自ら代表に就くと発表していた。 解散まで48時間を切るなか、新党との合流協議を急ぐ前原が上杉の携帯電話を鳴らし、急きょ設定された秘密会談。前原は民進の100億円超の資金や党職員の提供を申し出たが、小池は断った。そして、注文をつけた。 「全員(の合流)は困る。私は、憲法と安全保障は絶対に譲れません」 憲法改正と安保政策は、小池の保守政治家としての生命線だ。「護憲の方はご遠慮願いたい」と言う小池に、前原は応じた。「それは当たり前

    小池氏「護憲、遠慮願う」前原氏「当たり前」深夜の密談:朝日新聞デジタル
    maicou
    maicou 2017/11/19
    みんななんだかんだ言ってるけど、上杉隆さんって優秀な人なのね。
  • 他人をモノ扱いした方がいいかもしれない

    私は小さい頃より人付き合いが苦手だった。 正義感が強く、向上心も向学心もあり、みんなで助け合えば世界は少しずつ良くなるはず。 そんな定番の盲目な優等生タイプだった。 人がどんな気持ちかも大切だが、それ以上に再発防止や真実を明らかにすることの方が重要だと思っていた。 でも困っている人がいれば助けるし、一般的な義務は果たす。 甘い言葉よりも苦いアドバイスの方が、その先友人のためになるならと、後者を与えていた。 しかし、それをやると「人のことを考えていない」、「人はモノじゃない」だなんて言われる。 私としては、その人を当に大切に思うからこその選択だった。 目先の雰囲気や厄介ごとや嫌われ者になることを回避するために、おざなりの対応をすることの方が人をモノとして見ているじゃないか。 嫌われても、今後友人が被る災難を1つでも減らすことが思いやりだと思っていた。 ……どうやらこのやり方は間違っている

    他人をモノ扱いした方がいいかもしれない
    maicou
    maicou 2017/11/19
    読みにくいよ。いかにもロボットが「コレが正しいです」と書きそうな文体と改行。文章ってほんとに人柄現れるんだよなあ。
  • 厄介なのは「わからない」ではなく、「わかりたくない」なんだよね。

    コンサルタントをしていた時、記憶に焼き付いた先輩からの一言がある。 『厄介なのは「わからない」ではなく、「わかりたくない」なんだよね。』 これは、聞いたときにはそうでもないと思ったが、時が経てば経つほど、含蓄のある言葉だったとわかった。 人は、自分の経験や知識の中にないことを聞いた時、二通りの反応を示す。 一つは「わからない」。 そしてもう一つは「わかりたくない」である。 ちょっとした言葉の違いくらいかと思いきや、この2つの差は天と地ほど大きい。 人は「わかりたくない」時がある。 例えば、こんな話がある。 目の前にボタンがあると想像して欲しい。あなたはその管理者から「好きなときにボタンを押してください」と言われる。 あなたはしばらくした後「そろそろボタンを押すか」と思い、ボタンを押す。 この「ボタンを押す」という行為。じつはあなたの意思でボタンを押したのではない…… と聞かされたら、どう思

    厄介なのは「わからない」ではなく、「わかりたくない」なんだよね。
  • 松山巌「乱歩と東京」(ちくま学芸文庫) 1920年代の乱歩作品を都市分析のツールにすると、東京の多面性が見えてくる。 - odd_hatchの読書ノート

    探偵小説作家・江戸川乱歩登場。彼がその作品の大半を発表した1920年代は、東京の都市文化が成熟し、華開いた年代であった。大都市への予兆をはらんで刻々と変わる街の中で、人々はそれまで経験しなかった感覚を穫得していった。乱歩の視線を方法に、変貌してゆく東京を解読する。 筑摩書房 乱歩と東京 ─1920 都市の貌 / 松山 巖 著 例によって、章ごとの主題をみておこう。あわせて引用された乱歩の作品名を書いておいた。 1章 感覚の分化と変質 ・探偵の目 ・・・ 「D坂の殺人事件」。第1次大戦の好況によって地方生活者が都会に大量に流入した。それにより人間関係が希薄化した。 ・目と舌と鼻、そして指 ・・・ 「人間椅子」。希薄な人間関係は商店の陳列方法を変える。常連客を相手にする棚売りから、一見客を引き寄せる陳列方式に変わる。それは商店の「看板建築」の奇抜な建築法とか、消費者のウィンドウショッピングのよ

    松山巌「乱歩と東京」(ちくま学芸文庫) 1920年代の乱歩作品を都市分析のツールにすると、東京の多面性が見えてくる。 - odd_hatchの読書ノート