キャンバス → 100均に売ってる。 キャンゾール → 地塗り剤だがアクリル用のジェッソなら500~800くらいで済む。 絵の具 → 最低ラインのホルベイン製なら1800~3000で12色セット。 オイル → もともと調合されてるやつでいい。それぞれ買う必要性はほぼない。 洗浄液 → 直接ジャバジャバ洗えるボトルが1800円位。 筆 → 100均で買える。 追記:イーゼルは100均の写真用イーゼルがあるよ。F3~F4くらいまでなら大丈夫。 ただし、以上だけだと死後50年持たせるとかそういう強度はない。 半年たったらワニスを塗るとか必要だけど、メンドクセーなら放置で。 でもってこういう記事はブクマされない。 なぜなら油絵教室でしくじった話だとか、生徒から先生になった話だのというストーリー性が求められるから。 それと洗浄液は基本灯油なので発火に注意。
前回の続きです。 五日市鉄道のなかでは主要な駅のひとつ、南中神を出発したところでした。 ◆宮沢・大神へ 南中神駅構内を出て拝島方面への線路跡は、住宅により一旦途切れますがその裏側からすぐに復活します。 住宅裏から復活する線路跡(立川方向を見て) 正面住宅の向こうは南中神駅構内へ。こちらへは駐車場の敷地を通って手前の道路に。 その背後、拝島方向へは左へカーブしてから直線になり、 ゆるやかに下り勾配(昭島市中神町1丁目付近から) この道路が再び「五鉄通り」です。 そのまま先へ行くと 諏訪松中通りとの交差点 信号の先が宮沢駅のあった場所です。 手前左、植え込みの中には〈五鉄通り〉の標示があります。 駅跡付近から立川方向を振り返って 宮沢駅は立川起点から4.5㎞、線路南側に簡易なホームがあるだけの小さな駅でした。 乗降客がいないときに列車は通過、路線の国有化時に駅は廃止されてしまいました。 駅の痕
荒川歩きの途中ですが、気分を変えて立川へ向かいました。 今回は太平洋戦争中に休止、その後廃止となった五日市鉄道、立川ー拝島間の線路跡をたどります。 ◆五日市鉄道 五日市鉄道は現在のJR五日市線の前身にあたる鉄道会社です。 1919(大正8)年、勝峯山(かつぼ[う]やま:現在の東京都西多摩郡日の出町大久野、岩井付近の山)で採掘した石灰石輸送と旅客輸送を目的として鉄道建設計画が提出されました。 1922(大正11)年に会社が設立され、1925(大正14)年、拝島ー武蔵五日市間(現在のJR五日市線部分)、続いて同年、武蔵五日市ー武蔵岩井間が開業しました。 浅野セメント(現太平洋セメント)により勝峯山で採掘される石灰石は当時セメント工場のあった川崎へ運搬されましたが、拝島からはすでに開業していた青梅電気鉄道(現JR青梅線)と国鉄中央線を経由していました。 遠回りで効率が悪いため、五日市鉄道の路線を
五日市鉄道の線路跡を拝島まで歩いた足で、中神(なかがみ)へ向かいました。 すでに廃線となっていますが、現在のJR青梅線中神駅から分岐し、戦時中の陸軍航空工廠、戦後の米軍立川基地への貨物専用引込線がありました。この線路跡をたどって歩きます。 この路線には正式な名称がないので、通りの名称にもなっている「中神引込線」と呼ぶことにします。 「中神引込線」について 戦時中に日本陸軍が敷設、中神駅より陸軍航空工廠に至る路線です。航空工廠は陸軍で唯一の飛行機製造所でした。 路線の建設計画、許認可文書、正確な開通時期などは文書資料がなく不明です。建設主体が戦時中の日本陸軍のためでしょうか。 1943(昭和18)年はじめに線路敷設の具体的動きがあり、同年10月には青梅電気鉄道による引込線の貨物運輸実績記録があります。(つまり年初に計画、同年10月には開通済み。) 建設時、線路敷地となった民間農耕地は強制的に
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く