原発事故後に残されて飢えた牛によるはみ跡が残る牛舎の柱=福島県南相馬市で2017年3月9日、小出洋平撮影 東京電力福島第1原発から20キロ以内にある福島県南相馬市の牛舎には、原発事故後の空腹をしのぐため乳牛が柱をかじったはみ跡が残されている。 同市小高区の半杭(はんぐい)一成さん(67)は酪農家で乳牛約40頭を飼育していた。2011年3月の原発事故で家畜の移動が制限され、半杭さんは牛が周辺の田畑を荒らさないよう牛舎に…
![原発事故6年:牛舎に生きた証し 空腹乳牛が柱かじった跡 | 毎日新聞](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/a8baec64a9de92a50baffd90e571e716d3ca3f66/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn.mainichi.jp%2Fvol1%2F2017%2F03%2F13%2F20170313k0000e040174000p%2F9.jpg%3F2)
犠牲者を慰霊するために建てられた地蔵の除幕式であいさつする東谷藤右エ門さん=岩手県大槌町の吉祥寺で2017年3月11日午前10時27分、井口慎太郎撮影 吉里吉里地区の吉祥寺の檀家が七回忌に合わせて 東日本震災による死者・行方不明者が1285人に上った岩手県大槌町。悲劇を風化させない--。同町吉里吉里(きりきり)地区にある吉祥寺の檀家(だんか)が七回忌に合わせて遺族会を発足させ、11日、同寺で、慰霊碑の除幕式が営まれた。「大切な人を二度と津波で亡くさないように」。会の顧問を務める保育園理事長の東谷(あずまや)藤右エ門さん(83)は誓う。 除幕式には約300人が出席。碑は、苦しみを取り除くという意味を込め「抜苦(ばっく)地蔵」と名付けられ、東谷さんは「大震災の教訓を次の世代に伝承していきましょう」と呼びかけた。
東日本大震災で大切な人を亡くした人や、被災した古里を遠くから思う人、力強く立ち上がろうとする人たちの、今の気持ちを込めたメッセージをまとめました。
バットなど思い出の品々の前で潤也さんに毎朝話しかけるという渡辺昭子さん=福島市で2017年3月3日、南茂芽育撮影 近所の人から感謝の言葉 福島・浪江の渡辺昭子さん 海がよく見える福島県浪江町の高台で、渡辺昭子さん(67)は真新しい御影(みかげ)石に刻まれた碑文を見つめた。東日本大震災の発生から6年を迎えた11日午前、津波の犠牲者182人の名前をとどめる町による初の慰霊碑が除幕された。一人息子の潤也さん(当時36歳)は消防団員として活動中に命を落とした。県内の行方不明者196人の一人。県警による捜索はこの日も、近くの海岸で続けられた。 「津波が来るかもしれない。役場に逃げた方がいいよ」。強い揺れに襲われた直後、すぐ隣で理容店を営む潤也さんが駆け付けてきた。「オーライ、オーライ」。昭子さんの車を誘導すると、消防団員として見回りに出かけた。優しい目をした息子と会う日はもう訪れなかった。自宅は津波
東日本大震災に伴う東京電力福島第1原発事故の発生から6年。東京電力ホールディングス(HD)が進めてきた廃炉や賠償などの事故処理の費用は想定以上に膨らみ、国民の負担が増すほか、東電の経営再建もいまだ見通せない状況だ。地元の反対などで各地の原発の再稼働も進まず、事故の影響は日本のエネルギー政策にとって今なお重い足かせとなっている。【宮川裕章、岡大介】 福島第1原発事故の処理費用の見積もりは、経済産業省が昨年12月に公表した試算で、それまで想定されていた11兆円から21.5兆円に倍増した。中でも廃炉費は原子炉に落ちた核燃料(デブリ)の取り出しの本格化を迎え、2兆円から8兆円に増加。賠償費も商工業や農林水産業の損害や風評被害の収束が遅れ、5.4兆円から7.9兆円に膨らんだ。
仙台の元テレビ局員 神久剛さん(37) 185センチの長身に濃紺の制服。背筋はきりりと伸びていた。秋田港から海を見つめる姿は、やりたかった仕事をしている喜びより、緊張感が大きいようにみえた。 昨年1月に海上保安庁に入り、同6月、秋田海上保安部(秋田市)に配属された。現在は1000トンクラスの巡視船「でわ」に乗り、船の整備や無線連絡を担う通信士補だ。「今は慣れるのに必死。職場の10歳も年下の『先輩』に迷惑をかけないようにしないと」と真剣な表情を崩さない。 東日本大震災当時、仙台市のテレビ局に勤め、技術スタッフとして報道番組の制作に携わっていた。地震発生時は自宅にいたが、すぐ社に向かった。町は人であふれ、大混乱。到着には通常の3倍の時間を要した。社屋が安全か不安がよぎったが、映像編集の作業室へ飛び込んだ。
甚大な被害を出し、風景を一変させた東日本大震災。その発生から11日で6年を迎える。毎日新聞は震災直後から、岩手、宮城、福島3県の沿岸部の上空から、そして陸上で、その変化を記録し続けてきた。 時の経過とともに変貌を遂げた被災地の景色。どの被災地の、どの地点が、どのように変わったのか? 時を刻んだ無数の写真。それらをつなぎ合わせ、「被災地の6年」を振り返る。 岩手県陸前高田市 「奇跡の一本松」震災遺構として整備へ 東日本大震災による大津波で壊滅的な被害を受けた陸前高田市内の中心部。震災から6年がたち、一面でかさ上げ工事が進んでいる。 一方、沿岸部では津波に耐え、市のシンボルとなった「奇跡の一本松」が今も立っている。地震による地盤沈下の影響で、海水につかり根腐れして枯れたものの、市は被災者の希望になるとして受け継ぐことを決断。世界中から寄付を募り、2012年9月に伐採した後、防腐加工して13年6
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く