ブックマーク / business.nikkei.com (6)

  • 貯金が少ない人の家は、たいてい散らかっている

    頑張って節約しているのになかなか貯まらない。それは、収入のせいではなく、日々の行動・考え方に問題があるかもしれません。家計相談で多くのご家庭を訪ねるFPの黒田尚子さんが発見したのは「貯蓄ベタな人の家は散らかっている」という法則でした。黒田さんの新刊 『お金が貯まる人は、なぜ部屋がきれいなのか』(日経済新聞出版)より抜粋のうえ紹介します。 部屋が汚い人の家計簿の共通点とは 「お金を貯めたいと思っているのに、なかなか貯まらないんです」といった人は多いと思います。 そんな人は、まず自分の部屋や家の中を見回してみてください。今、急にインターホンが鳴って、お客さんが来たら、「どうぞお上がりください」と言えるくらい片付いているでしょうか? FPとして独立して20年超の間、私はさまざまなお宅を訪問して、家計相談を受けてきました。 そこで確信したのは、「お金を貯めている人は部屋が片付いている」という点で

    貯金が少ない人の家は、たいてい散らかっている
    majikichi893
    majikichi893 2022/05/18
    ちょびっと批判ありそうな記事だけど一理あると思う。
  • ガンプラはどこに消えた? 暗躍する転売ヤー 怒るモデラー

    ガンプラはどこに消えた? 暗躍する転売ヤー 怒るモデラー
    majikichi893
    majikichi893 2022/01/26
    バンダイは昔たまごっちを意図的に枯渇状態にして商品価値を上げていた前科があるからな。本当の黒幕はバンダイかもよ。
  • 「エスカレーターで歩くな」と無茶言う人の末路:日経ビジネスオンライン

    斗鬼正一(とき・まさかず) 文化人類学に魅了され、大学院修士、博士課程と専攻。江戸川女子短大から江戸川大学創設とともに着任、人間陶冶と生きる力を磨く文化人類学の魅力を学生に伝えている。テレビ、新聞などのメディアでも、ミクロネシア、香港、ニュージーランド、日各地等での現地生活密着型フィールドワークを通して出会った、あまりに多様、複雑な人間とその社会という不思議な存在の魅力を発信している。近著に『頭が良くなる文化人類学』(光文社新書) なぜエスカレーターのマナーに関心を持つようになったのですか。 斗鬼正一氏(以下、斗鬼):私は文化人類学を専攻していますが、中でも異文化コミュニケーション、さらに具体的に言えば「海外から流入してきた異文化に日人がどう対応するか」について強い関心を持ってきました。その意味では、古くは明治維新後の文明開化、最近では言えば、例えば「携帯電話文化の流入と日社会の反応

    「エスカレーターで歩くな」と無茶言う人の末路:日経ビジネスオンライン
    majikichi893
    majikichi893 2017/06/23
    「末路」という言葉があるから運動瞑想野菜の人コメント読めると思ったのに。
  • 車内の化粧は誰に迷惑なのか?

    電車内で化粧をする女性を「みっともない」という言葉で切って捨てるマナー広告が物議を醸している。 現物を見てみよう。 炎上しているブツは、リンク先のページ(私の東急線通学日記)の上から4番目、「車内化粧篇」だ。 リンク先には、駅貼りポスターと、動画バージョン(マナーダンス篇)が掲載されている。 ポスター版では、上半分に頬杖をついて車両内を観察する主人公の女の子、下半分に電車の座席に座って鏡に向かってアイメイクをしている女性の写真を配置している。 キャッチコピーは、手書き文字でこう書かれている。 「都会の女はみんなキレイだ。」 「でも時々、みっともないんだ。」 動画版は、車両の向かい側の座席で化粧をする女性たちを見て、顔をしかめて 「みっともな!」 とつぶやいた(「吐き捨てた」と言った方が正確でしょうね)主人公の女の子が、突然メイクアップ中の女性たちに向かって「マナーダンス」という攻撃的な振り

    車内の化粧は誰に迷惑なのか?
    majikichi893
    majikichi893 2016/10/28
    理屈じゃねーよバカ。 男が車内でチンポジ直してるの見たら不快だろう?誰に迷惑かけてんだ? 鉛筆や箸の持ち方、ちゃんとした持ち方しなくても誰にも迷惑かけてないよー!
  • 石破氏:ゴジラを攻撃した戦車はどこから来たか

    石破氏:ゴジラを攻撃した戦車はどこから来たか
    majikichi893
    majikichi893 2016/09/07
    政治家ってやっぱ頭いいんだなあ。
  • 辞任まで“あまり”に強気だった理由

    以前にも書いたことがあると思うのだが、私は、「政治とカネ」というこの決まり文句を耳にする度に、微妙にイライラした気持ちになる。理由は、「政治とカネ」が、具体的に何を指し示しているのかについて、この見出しは、結局のところ、何も説明していないからだ。 そもそも、「政治とカネ」というこのフレーズは、抽象名詞を二つ並列させただけのもので、ひとつの文として完結していない。 「花と蝶」 「酒と涙と男と女」 「部屋とワイシャツと私」 「オレとお前と大五郎」 「ネギとイモ」 「木村と中居」 これらは、実のところ何も語っていない。 それぞれの単語がもたらすそれぞれの映像と、関係を匂わせる物語の予感と、余情と余韻と余白以外には、何も伝えていない。 主語も述語も無い。 言わばポエムの断片に過ぎない。 にもかかわらず、二つの名詞を一音節の接続詞でつなげただけの成句である「政治とカネ」は、深い含蓄のあるヘッドライン

    辞任まで“あまり”に強気だった理由
  • 1