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沖縄に関するmakayaのブックマーク (11)

  • 「琉球の風」「ちゅらさん」「ちむどんどん」…<br />放送からたどる沖縄の歴史

    NHK放送博物館で、7/3(日)まで開催予定の企画展示『おきなわ・しまの放送80年ものがたり~連続テレビ小説「ちむどんどん」の時代~』。今年は沖縄の土復帰50年、社団法人日放送協会沖縄放送局が開局して80年になることから、NHK放送博物館所蔵の資料から沖縄の放送の歴史をたどります。ここで展示内容を一部ご紹介します! 社団法人日放送協会沖縄放送局 (1942年3月19日~1945年3月26日) 1942年3月19日、首里市寒川町に社団法人日放送協会沖縄放送局が開局します。しかし、防空上の措置により電灯線を利用した有線放送だったため、電灯のない世帯ではラジオを聴くことができませんでした。放送区域も沖縄島南部に限定されていました。 沖縄放送局(JOAP)開局絵はがき(1942年) しかし、戦局は次第に厳しくなり、1945年3月には戦火のため閉鎖に追い込まれました。局長以下10 名(技術

    「琉球の風」「ちゅらさん」「ちむどんどん」…<br />放送からたどる沖縄の歴史
  • テレビ開局|石垣市

    OHK先島テレビ開局。い入るようにテレビを見入る人びと 〔昭和42年〈1967〉12月頃〕 写真提供・八重山毎日新聞社 昭和三七年(一九六二)一一月、当時の徳安実蔵総理府総務長官の八重山訪問をきっかけとして高まったテレビ実現化への動きは、児童生徒たちによる土政府関係者へのハガキ運動など側面からの純真な訴えが大きな力となり、昭和四〇年八月、佐藤首相の沖縄初訪問を契機に大きく進展した。 その後、昭和四二年(一九六七)一二月二三日、日政府援助によって先島テレビ放送施設が完成し、最高の〃クリスマスプレゼント〃として譲渡され、八重山住民待望のテレビ歴史的な放映を開始した。 放送初日、各家庭では家族そろって早々と夕をすませ、テレビを囲んで歴史的な放映にそなえた。午後六時、期待と緊張が高まるなかで放送が始まると大きな歓声が沸き上がり、テレビ情報化時代の幕開けが告げられた。 その日は午後九時過

    テレビ開局|石垣市
  • 沖縄放送協会 - 沖縄放送協会の概要 - わかりやすく解説 Weblio辞書

    ウィキペディア 索引トップ 用語の索引 ランキング カテゴリー 沖縄放送協会 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/28 21:22 UTC 版) この項目では、日返還前の沖縄にあった放送局について説明しています。現存するOHKの略称を持つ放送局については「岡山放送」をご覧ください。 沖縄放送協会 事業内容 放送事業 監督官庁 琉球政府 社所在地 豊見城村高安1019番地 電話番号 08-4-0135 ※1969年のデータ OHK放送センター(現・NHK豊見城放送所) 概要 沖縄の「放送法」(1967年立法第122号)[2]に基づき、公共の福祉のために、沖縄全域で受信できるようにラジオ放送およびテレビ放送を行うことを目的として設立された。しかし、実際にはテレビ1波のみの放送が実施され、ラジオ放送はAM・FM[注釈 1]とも実施されなかった[3

  • 「薩摩島津氏の琉球侵攻」(1609年)まとめ

    1609年三月、島津軍が琉球王国に侵攻し奄美大島、徳之島、沖永良部島、そして沖縄島と次々攻略。琉球王国軍の抵抗むなしく、四月四日、首里城が陥落、尚寧王は降伏し、独立国家琉球王国は、引き続き中国からの冊封体制下にありつつ、徳川幕藩体制の中に組み込まれる両属体制時代に入ることとなった。「薩摩島津氏の琉球侵攻あるいは琉球出兵」として知られるこの事件について、簡単にまとめ。 主に上里隆史著「琉日戦争一六〇九 島津氏の琉球侵攻」に従いつつ、記事末に挙げた琉球史関連の書籍・論文を参照。年号表記は和暦、中国暦、西暦を併記すべきところだが、冗長になるので一律西暦表記している。(参考、日:慶長十四年=明・琉球:万暦三十七年=西暦1609年) 徳川政権の事情秀吉死後、実権を握った徳川家康にとって最大の懸案が秀吉による朝鮮出兵の戦後処理だった。1599年の倭寇禁止令で東シナ海の治安回復に取り組む姿勢をアピー

    「薩摩島津氏の琉球侵攻」(1609年)まとめ
  • 「慶良間諸島国立公園」誕生|新着情報 座間味村公式webサイト

    慶良間諸島は国立公園指定を受け、国内で31番目の国立公園になりました。 国立公園の新規指定は27年ぶりのことです。 座間味村は国立公園として新たなスタートを切ることとなります。 「世界が恋する海」をキャッチフレーズにこれからも、自然環境の保全、地域美化に努めていきます。

  • 4.9GHz広域無線LANを基盤とした「防災情報システム」、沖縄・豊見城市が構築

  • 沖縄の「米軍等の事件・事故」は多すぎるのかどうか - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)

    こんなエントリーがありました。 →沖縄の「米軍等の事件・事故」は年間1000件の衝撃 - 保坂展人のどこどこ日記 ここに、にわかに信じることが出来ない数字がある。「沖縄の米軍人等などによる事件・事故数及び賠償金等支払い実績」(社民党要求・防衛省提出)によると、2005年(平成17年)に「1012件」とある。エッ、1年間に1012件も米兵絡みの事件・事故が起こるの? と衝撃の数字だ。同じ年、北海道は3件、東北178件、北関東144件、南関東334件、近畿ゼロ件、中国・四国50件、九州34件、そして沖縄が1012件だ。(※総計1755件 全国の事件・事故のうち57・6%の数となる)米軍基地の75%が沖縄に集中しているという実態が、如実に反映されている。そして、賠償金が支払われたのは148件に過ぎず、多くの人は泣き寝入りを強いられていると言える。 2006年(平成18年)は、953件。2007年

    沖縄の「米軍等の事件・事故」は多すぎるのかどうか - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)
  • 『普天間問題に見る政治報道の無責任』

    government of the people, by the people, for the people いまさら言うのも愚痴っぽいが、普天間で騒ぐなら、せめて5年前にしてほしかった。マスメディアの鳩山たたきは異常というほかない。 小沢一郎が夕刊フジに連載していたコラムをまとめた「剛腕維新」なるがある。 その2005年10月28日の記事には「普天間飛行場問題、やっと基合意」というタイトルがついている。その一部。 在日米軍協議の焦点となっていた普天間飛行場の移設問題が26日、やっと基合意に達した。(中略)しかし、ほんとうに沖縄県民の理解を得て、これを実行できるかどうか、まだ見通しは立っていない状況だ。 いずれにしても、9年前の橋内閣時代に決まっていた移転話がここまで長引いた最大の責任は日政府にある。(中略)米国のご機嫌を損なわないように適当にふるまいながら、一方で沖縄県民にも

    『普天間問題に見る政治報道の無責任』
  • 元CIA顧問の大物政治学者が緊急提言 「米軍に普天間基地の代替施設は必要ない! 日本は結束して無条件の閉鎖を求めよ」

    普天間基地問題の決着期限が迫るなか、鳩山政権は辺野古沿岸につくる桟橋滑走路と、徳之島の既存の空港を併用する移設案を提案した。しかし、地元や米国側の同意を得られる見通しは立っておらず、日国内は鳩山政権批判一色に染まっている。しかし批判するだけでは何も変わらない。そもそも同基地の代替施設の不要論は米国内にもある。東アジア研究の大家で、CIAの顧問を務めた経験もあるチャルマーズ・ジョンソン 元カリフォルニア大学政治学教授は、日国内にはすでに十分すぎる米軍基地があり、日国民は結束して普天間基地の無条件閉鎖を求めるべきだと提言する。 (聞き手/ジャーナリスト・矢部武) チャルマーズ・ジョンソン Chalmers Johnson 著名な国際政治・東アジア研究者。米国の覇権主義、軍事優先主義を厳しく批判した著書が多く、東アジアにおける米国の帝国主義的政策は必ず報復を受けると分析した”Blowbac

  • 海兵隊の抑止力とは何かを検証せよ! ―― 朝日オピニオン欄の柳沢協二の議論に同感する - Infoseek 内憂外患

    ルース駐日米大使は29日に早稲田大学で講演し、沖縄県の米軍普天間基地の国外移転に強く反対する考えを表明した。「海兵隊は有事に誰より早く現地に乗り込む即応部隊。日から移されれば機動性と有効性が著しく低下する」と指摘。同県名護市の辺野古に移設する現行案は「10年以上検討し、普天間を最短で閉鎖できるベストの案だった」と語った。 「周辺のあらゆる国が在日米軍の動きを注視している。日で実戦に近い訓練をしている姿を見せることも目に見える抑止力になる」と述べ、駐留の意義を強調した。 しかしこれはハッキリ言って素人の意見である。「海兵隊は誰より早く現地に乗り込む即応部隊」と言うが、ではその"現地"とはどこであって、そこでの"有事"とはどのようなものなのか。「日から移されれば機動性と有効性が著しく低下する」というような危機とは、普通に考えれば、日が近隣から直接侵略される場合、朝鮮半島か台湾海峡で

  • わかりにくい沖縄「だれにも書かれなくなかった戦後史」 - 深町秋生の序二段日記

    沖縄についてちょっと調べる必要があり、佐野眞一の分厚いハードカバー「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」を購入。おしっこ漏れるぐらいにおもしろかった。 ダイエーの隆盛と衰退を通して戦後を描いた「カリスマ」や読売グループの首領正力松太郎を取り上げた「巨怪伝」も同様におしっこ漏れるぐらいにおもしろかったわけで、もっと早く読んでいたらと後悔さえ覚えた。発売から一年以上経っているけれど、かなりベストセラーだったらしく、私が購入したやつは六刷だった。 そもそもテレビが取り上げる沖縄はたいてい退屈だった。とくに故・筑紫さんの「ニュース23」がひどく、嬉しそうに彼が沖縄について語り出そうとするところでチャンネルを変えた。青い海をバックに、平和そうな顔をした沖縄の人がサンシンを引いて陽気に踊る。のんびりやろうぜ。あと戦争はよくない。なんたって激戦地となった悲劇の島だ。今も米軍が我が物顔でしきっている。

    わかりにくい沖縄「だれにも書かれなくなかった戦後史」 - 深町秋生の序二段日記
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