あかみさんとshiroさんのご意見を読んで、私の考えがごっちゃになっていたと気づきましたので修正版を書きましたオリジナル版の下にあります。 オリジナル版 先生は教え子に認められなければ先生になりえないけど、表現者はたとえ世界の誰からも認められなかったとしても表現者だと私は思っています。表現の定義が「適切かどうか/良いかどうか/正解かどうか分からない事柄についての発言」であろうが、「自分と世界のずれ」だろうがそれは同じ。 Mouseionの日記:【雑記】 表現者は外部の干渉なしに存在意義を決定する事は不可能で、 他者の存在があって初めて表現者としての存在意義を確立する事が可能になるのだ。 ご意見いただけてとても嬉しいけれども、私はそう思いません。ほぼ、言葉の定義になってしまいますが、表現者の存在意義はただ自分の外に問いかけることのみ。自分の外に問いかけられない人はいくら才能を持とうが葛藤を持