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ブックマーク / kensuke-miyazaki.blog.drecom.jp (2)

  • はてなが京都に移転:ドリコムが京都オフィスと東京オフィスを統合させたことを振り返る-宮崎謙介⇒加藤謙介の誰にも見せないつもりの日記

    元ドリコムの美谷さん(あすなろブロガー)が 「はてなが京都に移転:ドリコムが京都オフィスを閉鎖したときに思ったこと」 という記事を書かれています。 はてなさんのことも私はよくわからない上、 開発者の心理がどうとか、開発の効率がどうの、 ということはよくわからないので 異質な2つの拠点が1つに合併したときに起こった「文化」の 変化について思っていたことがあるので触れてみる。 そもそも、ドリコムが京都オフィスと東京オフィスを統合した背景には マネジメントコストの削減だった。 ◆京都オフィス:B2Cサービスの開発、運営 ◆東京オフィス:B2Bサービス開発・営業・管理 というように機能が分かれていた。 そして、役員(当時マネージャー業務も兼務)も 殆どが東京にいる状況で、役員が京都・大阪間の往復を 何度も繰り返しているという状況で1週間役員が誰も 京都にいないという

  • ドリコム退職にあたり-宮崎謙介⇒加藤謙介(@ドリコム)の誰にも見せないつもりの日記

    12月13日付けでドリコムを正式に退職することになりました。 思えばドリコムには2005年の3月からということで3年近く所属を していたのですが、営業部の立ち上げの社員第一号として 入社をしました。ちょうどIPOの1年前です。 当時は、社員数というところでいうと13、4人で 東京オフィスには机が6個くらいしか並んでいないような状況で ドアを開けたときはオフィスの狭さに驚きを隠せませんでした。 それに当時、開発案件を一手に引き受けていた現在取締役の新井さんが 寝泊まりをしていたテントがありました。ベンチャーを垣間見た瞬間です。 一方で、市場の追い風と、技術力の高さが評価され まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで成長をしているのを肌で感じました。 ドリコムでは、営業部の立ち上げから始まりました。 今現在あるドリコムキャリアサーチの立ち上げがメイン業務でした。 当時掲げていた、ブ

    makoto_way
    makoto_way 2007/12/15
    事業低迷の理由として営業部がうまく走っていない事も一因なのに、なんだかすべて社長のせいのように記載されるのはどうか。立ち上げに関与した人間ならその責任も背負った発言をするのが筋。
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