1977年に旧西ドイツの名門チーム「1FCケルン」とプロ契約を交わし、「プロサッカー選手」としてデビューされた奥寺康彦さん。帰国するまでの9年間、当時世界最高峰のリーグといわれたブンデスリーガ(西ドイツ1部リーグ)で活躍。帰国後は古河電工とのプロ契約で現役を続け、引退後の1999年、横浜FCの初代GMに就任されました。現在は横浜FCの会長を務めながら、横浜FCスポーツクラブの代表理事も兼任し、女子サッカーチーム「横浜FCシーガルズ」の立ち上げから運営まで手がけられています。そんな奥寺さんに、サッカーチームの運営サイドとしてのご苦労や、女子サッカーの環境整備や普及にかける思いについて伺いました。 ――1999年に横浜FCのゼネラルマネジャー(GM)に就任されました。その経緯をお聞かせいただけますか? 横浜フリューゲルス(横浜F)がなくなったあと、1999年に横浜Fのサポーター有志によって「横