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ブックマーク / www.yomiuri.co.jp (2)

  • 東映アニメーションのプロデューサー 関 弘美(せき ひろみ) : TV : エンタメ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    世界の子供たちを相手に 「おジャ魔女どれみ」や「デジモン」シリーズなど、最近の東映アニメーションを代表するアニメの数々を担当してきた。 福井県出身。児童文学や漫画を読みふけっていた少女は、小学5年生の時に「映画の世界で生きていく」と決めた。「テレビで『エデンの東』を見ていた母親が初めて泣くのを見たんです。映画の力ってすごい、と感動しました」 大学でシナリオ研究会に入ったのがきっかけで、先輩の脚家の目にとまり、子ども向け特撮ドラマの脚を書いた。「当時、映画会社は4年制大学卒の採用はしていなかったし、まして地方出身の女性なんて。映像の世界に入って行くには、この道しかないと思っていました」 東映動画(現・東映アニメーション)でアルバイトとして働き始め、事務のかたわら、ひたすら漫画を読んでアニメ番組の企画書を書き続けた。そして、同社初の女性プロデューサーとして世に送り出したのが「ママレード・ボ

    mamago12
    mamago12 2006/07/04
    関弘美
  • 世界一早い「ゲド戦記」インタビュー 鈴木敏夫プロデューサーに聞く : 100人のジブリ : ジブリをいっぱい : エンタメ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    鈴木 敏夫(すずき としお) 1948年生まれ。慶応大学文学部卒業後、徳間書店に入社。雑誌「月刊アニメージュ」編集長を経て、85年、スタジオジブリ設立に参加。「ハウルの動く城」をはじめ、数々のジブリ作品のプロデューサーを務める 来年7月公開のスタジオジブリの新作が「ゲド戦記」であることが発表された。アーシュラ・K・ル・グウィン原作の名作ファンタジーが初めて映画化されることや、宮崎駿監督の長男で「三鷹の森ジブリ美術館」前館長の吾朗さんが初監督を務めることで、早くも話題となっている。企画を立ち上げた場所だというスタジオ近くの“秘密の部屋”で鈴木敏夫プロデューサーに聞いた。(依田謙一) ――なぜ今、「ゲド戦記」だったのですか。 鈴木 もともと宮(崎駿)さんが熱心に読んでいた作品です。その影響もあって僕も読んでいて、「風の谷のナウシカ」(1984年)を作る前からずっと映画化したいと思っていました。

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