2016年2月6日のブックマーク (2件)

  • 日本生産性本部、ミャンマーに「生産性本部」設立へ

    生産性部は3日、ミャンマーに「生産性部」を設立すると発表した。今月にも5人の日人専門家を派遣し、活動を開始する。政権交代により民主化が加速し、海外からの投資も進む中で、ものづくりの効率化を支援する考えだ。 ミャンマー工業省、ミャンマー商工会議所連合会と協力して、「ミャンマー生産性部」を設立する。モデル企業を決めた上でのコンサルティング活動や、人材育成、生産性指標を提供する仕組みの構築などを、3年間かけて行う。特に、繊維やアパレルなどの分野で、業務を先行させたいとしている。 生産性部はすでに、シンガポールなどのアジア各国やアフリカ諸国で設立支援をしている。ミャンマーは、外資の直接投資に対して、部材や材料の供給態勢が整っていないことから、生産性の向上によって対応させる考えだ。

    日本生産性本部、ミャンマーに「生産性本部」設立へ
    maniwani
    maniwani 2016/02/06
  • 【人口戦】日本の少子化は「人災」だった(上)戦後ベビーブーム突如終焉(1/3ページ)

    GHQ、禁断の「産児制限」人工光に照らされた棚に、青々と育ったレタスが所狭しと並ぶ。兵庫県養父市の旧南谷小学校の体育館。かつて子供たちの元気な声で満ちあふれていた学舎は「野菜工場」へと変貌をとげた。 子供の数が減った影響で小中学校の廃校が相次いでいる。文部科学省によれば、公立小中学校は平成17(2005)年度からの10年で3200校近く減った。高齢者施設やオフィス、宿泊施設、レストランなどに転用された例もみられる。 厚生労働省が年頭に公表した推計によれば、昨年の年間出生数は前年比4千人増の100万8千人。だが、この反転は一時的なものとみられる。子供を産むことのできる若い女性が激減していくからだ。 それにしても日の出生数の減少ペースは速い。戦後のピークである昭和24(1949)年の約270万人と比較すると、70年弱で約3分の1に減った。しかも、その推移を追いかけると、気になる変化が見つかる

    【人口戦】日本の少子化は「人災」だった(上)戦後ベビーブーム突如終焉(1/3ページ)
    maniwani
    maniwani 2016/02/06
    "戦後、占領政策を実施した連合国軍総司令部(GHQ)が、堕胎や避妊による「産児制限」を仕向けていたのだ。日本の少子化は、GHQによって引き起こされた“人災”だったともいえる。"