しもじぃにあたってもイカンだろう。 何から書いていいのか迷う。学園祭が中止となるのは先週で判っていたので、正直展開の幅が狭まったことは予測できたことではある。ただ、自分がファンタジーを見続けたかったという想いが強かったせいなのか、どことなく陳腐さを感じてしまった。学生運動バリの描写を見て、そういう年代でもないだろう?と思って今調べてみたら私と大きく離れてないじゃないですか。どこ大学卒よ?と気にはなるところである。京都?。 30年後の少年少女たちが、働くことと学ぶことの選択が自由に行える上でなぜ学校を選択するのか?を考えてみると、金月龍之介が現代の延長線上で想像したときに、やはり学習に魅力を感じてとか可能性を伸ばすという線はなくて、まぁモラトリアムなんじゃない?というのはリアリティはあると思う。とにかく考えるのがめんどいから、じっとしてれば選択肢を与えてくれるという楽な方法としての学校という