われわれは有用な存在として活躍することを求められている。 チームが勝っても自分が活躍しなければ嬉しくないという話であるが、ここで厄介な問題が生じてくる。 能無しが参加しても足手まといだから、いないほうがいいというのがミクロな問題としてはある。 活躍しなければならないというのは、社会が総論として求めているだけであり、その基準に達しない人はどうすればいいのか、という難題である。 この人生には、どちらを選択しても非難されるということがある。 活躍問題もそれである。 何もしないほうがマシな能無しがいるとして、では何もしないと褒められるわけでもなく、「おまえは何もしてない」と批難されるのだ。 だから大活躍するべく、無能な味方として暴れまわることもある。 何もしないことを褒めるという対策も、理屈としては可能である。 だが、やはり無理があるだろう。 多動性が障害であるという観点から言うと、本当に「何もし