2006年11月7日のブックマーク (2件)

  • 白川静さん、信実の道を逝く - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜

    白川静さんが逝かれた。96歳だった。 虫の知らせというのだろうか、昨日は、昼間、編集部に来た写真家と現代美術家の人とも、夜、外でたまたま会って飲んだ二人とも、白川静さんのことを話し込んでいた。4年前の「風の旅人」の創刊の頃のことや、初めて京都の桂離宮の近くのご自宅を訪問した時のことなど・・・・。 白川さんは、「道」という文字を以下のように紹介している。 「異族の首を携えて、外に通じる道を進むこと。」 その説明を簡単にすると、外界に通じる道は、外族やその邪悪なる霊に接触するところであるから、その禊ぎをおこないながら進まなければならない。古代、首は強い呪力をもつと考えられ、その首を携えることで、邪霊を祓った。そのようにして啓かれたものが道であった。 「道」というのは、古代の儀礼として、そのような意味を持つものであった。それが、いつしか、道徳とか道理の意となり、その術を道術、道法といい、存在の根

    mappuri
    mappuri 2006/11/07
  • 敢えて自殺について(3) - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜

    マラソンランナーは、勝利する喜びよりも、完走することを大事にしている。 それはなぜだろう。 途中で消耗しきって何度も何度も辞めようと思いながら、ふらふらになっても、走り続けて完走しようとする。 途中に急な坂もあるし、強い向かい風もある。人に足を踏まれて転ぶ人もいる。でも、走ることを辞めない。転んでも起きあがって、走り続けようとする。 身体中のエネルギーを使い果たして、気力も何もない状態でも、走り続けようとする。 そういう姿を見ると、胸を締め付けれる。感動で鳥肌が立つ。なかには、苦痛に顔を歪めて棄権をする人もいる。人にしかわからない苦痛とかがあるのだろう。苦痛があるのだろうということは想像できるが、それがどの程度のものか、人にしかわからない。人が無理してわからなければならない問題でもない。坂がきつかったからだとか、気温が高すぎたからだとか、いろいろ言ってもはじまらない。 走るのを辞めた人

    mappuri
    mappuri 2006/11/07
    life