個人的な話から、させてください。私の父は昭和11年生まれ、名を「弘毅」と言います。昭和11年、2.26事件ののち総理になった、広田弘毅にあやかったのだそうです。まあ平凡な男ですから、父と広田の、名前以外の共通点といえば、生家が小さな店だったことと、好んでダジャレを飛ばしてたことぐらいなのですが、そこはかとなく親近感を持っておりました。このたび津田編集長のご指名を受け、急きょ総理大臣に就任するにあたり、あらためて広田弘毅について調べてみました。 広田は、東京裁判で死刑となった、唯一の文官でした。ほかに死刑となった6名はすべて軍人で、戦争において果たした積極的な役割が問われました。広田が問われたのは主に消極的な役割、すなわち、総理や外務大臣としてするべきことをしなかった、不作為の罪です。南京大虐殺のひどい状況を知りながら、閣議に報告するなどして全力で阻止しなかった責任などを問われ、広田は死刑と
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