2014年11月30日のブックマーク (3件)

  • 「ゲームセンターは不良のたまり場」だった頃 - いつか電池がきれるまで

    明治時代、読書といえば四書五経のようなマジメな漢籍を読むことであり、絵空事を書いた「小説」は読書のうちに入らないとされていた。で、「小説のような悪書を読むのは不健全である」と新聞で論じられたりもした。ひとえに小説が新しいメディアで当時の大人達が慣れてなかったのである— こなたま(CV:渡辺久美子) (@MyoyoShinnyo) 2014, 11月 26 1950年代に漫画が悪書扱いされ、日各地で焚書まがいの弾圧が行われていたのは有名だが、そのころ漫画を取り上げられて泣いていた子供たちが成長し老人になった今、誰も手塚治虫の漫画を悪書と呼ぶものはいない。— こなたま(CV:渡辺久美子) (@MyoyoShinnyo) 2014, 11月 26 このツイートを読んで、以前、ネットで書いたことへの、意外な反響に驚いたのを思いだしました。 僕が子どもの頃、いまから30年くらい前だから、1980年

    「ゲームセンターは不良のたまり場」だった頃 - いつか電池がきれるまで
    marsrepublic
    marsrepublic 2014/11/30
    「そんなわけない」って意見があることに世代間ギャップ感じてびびる。近所のゲーセンに「赤シャツ・赤パン禁止」とかいう貼り紙あったなあ。俺が小学生の時点で既にネタ化してたけど。
  • 文化資本 - はてな村定点観測所

    2014-11-30 文化 la distinction (卓越化) 『ディスタンクシオン』は、ブルデューの主著の1つです。藤原書店から邦訳が出版されています。ブルデュー理論やディスタンクシオンの概念は、近年になって日でも積極的に紹介され、社会学や哲学の方面を中心に大きな影響を与えています。 文化とディスタンクシオン -卓越化- これは君のことを話しているのだ。 この注意は読者に向けられていると同時に、社会学者にもまた向けられている。逆説的なことであるが、文化のさまざまなゲームは、そこに巻き込まれた人々が互いに相手を客観化しようとして行うあらゆる部分的な客観化行為のおかげで、かえってそれら自体は客観化されることから免れるという仕組みになっている。 だから学者たちは、自分自身の真実をつかむことをあきらめるのでないかぎり社交家たちの真実をつかむことができないのだし、逆もまたしかりなの

    marsrepublic
    marsrepublic 2014/11/30
    ホッテントリかくにん!よかった。
  • 「わさビーフ」"わさび抜き"発売に思わぬ余波 シャープの中の人が「猛省」

    「わさび抜きわさビーフ」の販売開始の影響は思わぬところへ及んでいた。萌えキャラがプリントされた"痛掃除機"の発売などで何かと話題(?)のシャープ株式会社のもとへ1通の手紙が送られていた。

    「わさビーフ」"わさび抜き"発売に思わぬ余波 シャープの中の人が「猛省」