1980年、90年代の台湾観光旅行の際、ホテルの窓から見える通勤時の光景にビックリしたものです。信号が変わるやいなや100台はあろうかと思われるバイクの軍団が一斉にスタートします。当時はその凄まじい光景に東南アジアを感じたり、活気を感じたものです。
第4代台湾総督児玉源太郎1898年(明治31年)2月26日 第4代台湾総督に就任する。1906年(明治39年)4月離台する。歴代台湾総督のうち唯一日本国内の軍政の要職を同時に兼任していた。(8年の任期中に陸軍大臣、内務大臣、陸軍参謀総長次長等を兼任している)故に台湾には不在がちであったため台湾総督としての実務は後藤新平民政長官によって行われ、「児玉総督時代」ではなく「児玉・後藤政治」という言葉が使われている。ちなみに台湾総督在任は初代樺山資紀1年1か月、2代目桂太郎4か月、3代目乃木希典1年4か月である。これをみても児玉源太郎の総督時代は8年と長く、この期間に台湾の下地ができた事が分かります。 児玉源太郎の軍歴明治3年(1870) 軍曹として陸軍に入隊。 明治7年(1874) 佐賀の乱には陸軍大尉として従軍。 明治9年(1876) 熊本鎮台准参謀時、神風連の乱を鎮圧 明治10年(1877)
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