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ブックマーク / sports.yahoo.co.jp (5)

  • 2016年 吹田スタジアムの価値<後編> シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」 - スポーツナビ

    新スタジアム建設にあたり、元ガンバ大阪社長の金森喜久男がまず着手したのが「同志」を得ることだった 【宇都宮徹壱】 行政だけに頼ることなく、寄付金によって建設費を賄うという新スタジアム建設プロジェクト。その実現にあたり、元ガンバ大阪社長の金森喜久男がまず着手したのが、「同志」を得ることであった。単なる協力者ではない。サッカー界と経済界で、それぞれ大きな影響力を持つ人物である。金森がまず訪ねたのが、JFA(日サッカー協会)最高顧問の川淵三郎。「サッカー界と経済界が一緒になって民間の寄付でスタジアムを造りたい」という自らの考えを開陳したところ、その場で「よし、分かった。一緒にやろう。Jリーグを作るときも胸躍ったが、これからはこのやり方ですね!」と快諾を得ることができた。2008年7月のことだ。 金森はさらに、パナソニック以外のクラブの大株主(関西電力、大阪ガス、JR西日)の賛同を得て、いよい

    2016年 吹田スタジアムの価値<後編> シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」 - スポーツナビ
  • 2016年 吹田スタジアムの価値<前編> シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」 - スポーツナビ

    2016年にオープンした、市立吹田サッカースタジアム。こけら落としは2月14日のG大阪vs.名古屋 【写真は共同】 2016年にオープンした、市立吹田サッカースタジアム。その竣工式が行われたのは、15年の10月10日のことである。「スタジアム建設募金団体」主催の竣工式を終えた後、スタジアム建設のための募金に5万円以上を寄付した4,394名が招かれた。Jリーグ・スタジアムプロジェクトの責任者である佐藤仁司は、万感の思いで迎えたこの日のことを、こう振り返っている。 「それまでも何度か訪れていましたが、この日はやはり格別でしたね。サポーターの皆さんが、ゲートからコンコースに入って劇場のようなスタジアムを目の当たりにすると『ウォー』という歓声が次から次へと聞こえてくるんですよ。それから、募金をされた方々のネームプレートの前で自分の名前を見つけた人が『あった、あった!』と、まるで合格発表のように喜ん

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  • G大阪、新シーズンは「遠藤ファースト」 キーマンは両脇を固める今野と井手口 - スポーツナビ

    過去8回のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)を戦っているガンバ大阪が、初めて出場した2月7日のACLプレーオフ。市立吹田サッカースタジアムで行われるG大阪の試合としては過去最少となる観衆8149人の前で、かつてのアジア王者はマレーシアのジョホール・ダルル・タクジムに3−0で快勝し、選への切符をつかみ取った。 「まず選に進めてホッとしています」と試合後の記者会見で安堵(あんど)の表情を浮かべた長谷川健太監督だが、その言葉は紛れもなく音だろう。クラブの格と地力を考えれば、下馬評は圧倒的に有利な状況ではあったが「僕らが力は上かもしれないが、サッカーは何が起こるか分からないし、普通に戦って普通に勝てるようにしていきたい」(遠藤保仁)。今季もキャプテンを務める大黒柱の言葉通り、ガンバ大阪は90分を無難に乗り切った。 ただ、今季最初の公式戦には、昨年までのG大阪になかった「普通でない」一面が随

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  • G大阪が見せたACLへの本気度 痛感したアジア勢力図の激変と対応策 - スポーツナビ

    2008年に一度だけその頂に上り詰めたことがある、ACL(AFCチャンピオンズリーグ)という「山」に今季再び挑戦したガンバ大阪。準決勝で広州恒大に2戦合計1−2で敗れ、「今年、1番取りたかったタイトルというか、一番大事にしていたタイトルが終わってしまった」と宇佐美貴史が呟いた言葉はチームの総意でもあった。 昨年、クラブ史上初の3冠を勝ち取った大阪の雄は、国内外合わせると計6つの大会でタイトルの可能性があっただけに、一部のメディアは「6冠制覇」がチームの目標であるかのように書き立てた。しかし、「出るからにはどの大会も優勝を目指す」という長谷川健太監督らの言葉を曲解しただけにすぎない。 昨年、3冠を獲得した直後「ACLは当に楽しみ」と早くも長谷川監督が言えば、始動直後の1月にはエースの宇佐美が「アジアで一番強いチームだと証明することが、今のガンバにとって必要なこと。どのタイトルも大事だけれど

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    marupeke
    marupeke 2015/10/28
  • サポーターと紡いだJリーグ20年の歴史=激動の時代を乗り越え、成熟した安定期に - スポーツナビ

    Jリーグ20年。人間なら「成人」である。1993年に生まれた赤ん坊がすくすく育ち、やがて小学校に上がり、中学、高校を出て成人する……。あっという間にも思えるが、実は大変な年月であることが分かる。この20年間をJリーグとともに歩んできた取材者のひとりとして、「成人まで」を簡単に振り返ってみたい。 この20年間を概観すると、最初の10年間が激動の時代だったことが分かる。順位決定方法(勝ち点システム)は、最初の10年間、ほぼ2年ごとに変わった。 1993年にJリーグがスタートしたときには、大きな特徴というより、世界のサッカーリーグと比較すると大きく違う「特殊ルール」があった。「延長Vゴール制(名称誕生は94年)」と「PK戦」は、引き分けで終わるのではなく、それぞれの試合にあくまで決着をつけることでファンを引きつけようという考え方から生まれた。 93年と94年には、単純にこうした形での勝ち数で順位

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