アパルトヘイトという言葉は、1913年の「原住民土地法(英語版)」に登場する。しかし、広く使われ始めたのは、国民党が居住地区条項を制度的に確立した1948年以降である。アパルトヘイトとは、南アフリカ連邦時代から続く人種差別思考の上になりたつ様々な差別立法を背景に1948年の純正国民党政権誕生によって確立された政策方針のことである。アパルトヘイト以前に、すでに「鉱山労働法(英語版)」(1911年)、原住民土地法(1913年)、産業調整法(1926年)、背徳法(1927年)などの差別的立法が成立していたが、国民党が政権を握って以降「集団地域法(英語版)」「人口登録法[注 2]」「投票者分離代表法(英語版)」「バントゥー教育法」「共産主義鎮圧法(英語版)」「テロリズム法」などが相次いで制定され、アパルトヘイト体制が成立した。 ケープ州においては、カラードは1853年の議会開設以来選挙権を持ってい