88年、リクルート事件が発覚する。江副が不動産子会社の未公開株を政財官の関係者にばらまいた大スキャンダル。取材攻勢と顧客からの批判殺到に、社屋を出るとカモメの社員バッジをはずす社員が相次いだ。 経営企画室課長の自分も知らない事実が、次々と暴かれていく。打ちのめされながら、国会や捜査の対応に追われた。同時に「本業が間違っていたわけじゃない」との思いが募った。「こんなことで会社をつぶせない」。会社を辞める気は起きなかった。 江副が贈賄容疑で逮捕され、経営から退くことで、嵐は収まったかに見えた。だが、その間も江副がつくった不動産、金融の子会社2社の負債が膨れ上がり続けていた。 92年4月。柏木が負債を返す部署の責任者になったとき、借金は1兆円に迫り、金利負担だけで年間の営業利益が吹き飛ぶ事態に陥っていた。そして5月、江副が持ち株を譲渡し、突如、ダイエーが大株主となる。社内には反江副、反ダイエーの